成長した安打製造機、見守り続けた小川監督代行

[ 2010年9月27日 06:00 ]

ヒーローインタビューを終え、ファンの前でつば九郎と万歳する青木

 【青木200安打達成】ヤクルト・青木が入団した04年に2軍監督だった小川監督代行は「本当に凄いこと。当時からバットコントロールはずばぬけていた」と振り返った。

 しかし、順風満帆だったわけではない。1年目の春季キャンプでは、フリー打撃で打球がケージから出ない状況が続き2軍落ち。肩を落とす青木に小川監督代行は声を掛けた。
 「おまえが得意なのは何だ?」。
 「逆方向へのライナーです」。
 「試合では力を出せるかもしれないが、練習でそれを見せないと使ってもらえないよ。おまえを使うのは監督だよ」。
 以降、青木は練習でも試合でも努力を続け、翌05年に初の200安打を達成する土台を築いた。
 昨年8月。飯田守備走塁コーチから緩慢なプレーを注意された青木がベンチ裏で珍しく暴れた。当時ヘッドコーチだった小川監督代行は「一生懸命やっているというのは、自分が自分で下した評価。評価というのは他人がするもの」と諭した。才能あふれる若者にチームプレーの大切さを強調。精神面の成長を促したことも、青木のさらなる進化につながった。

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2010年9月27日のニュース