王会長の母、108歳大往生「息子として誇り」

[ 2010年8月18日 06:00 ]

1977年9月3日、後楽園球場で本塁打世界新記録を達成し、セレモニーで王貞治選手から花の盾を渡された両親の仕福さんと登美さん(中央)

 プロ野球ソフトバンクの王貞治球団会長(70)の実母である王登美(おう・とみ)さんが16日午後7時36分、肺炎のために東京都内の病院で死去していたことが17日、分かった。108歳。富山県出身。葬儀、告別式については故人の強い遺志により密葬で執り行われる。新宿区在住者では2番目の高齢だった。文字通り「世界の王」の生みの親。108歳と天寿を全うした最愛の母に、王会長は球団を通じて悲しみのコメントを寄せた。

 突然の別れだった。登美さんが都内の病院で亡くなったのは、16日午後7時30分すぎ。王会長は14日に甲子園で行われた母校・早実―中京大中京戦を視察後、関東地方で夏期休暇をとっていた。関係者によると死に目には会えず、一晩明けたこの日の午前中に東京入り。最愛の母と悲しみの対面を果たしたという。その後、球団を通じて「108歳の天寿を全うしてくれました。長い人生でさまざまなことがあったと思いますが、力強く生きてくれたことは、息子として誇りです」とのコメントを発表した。
 登美さんは1901年(明34)9月21日に富山県富山市で生まれた。1928年に王会長の父である故仕福さんと結婚。東京府向島区吾嬬(あずま)町(現東京都墨田区八広)に、屋号ごと譲り受けラーメン店「五十番」を開いた。王会長は2男3女の末っ子。王会長にとって双子の姉であった広子さんは1歳3カ月で亡くなり、登美さんは幼少の頃から「広子は貞治の体の悪いところをもっていってくれた。あんたはお姉ちゃんに感謝しなければならない」と言い聞かせたという。
 王会長が巨人に入団すると、当時の後楽園球場に足しげく通った。世界新記録に王手をかけていた77年9月3日のヤクルト戦でのエピソードは心温まる。試合前に仕福さんとともに激励。紙袋を2つ抱え、1つにはチームへの差し入れとしてリンゴを、もう1つには「もう都会では聞くこともできないだろうから」と鈴虫を渡した。試合前にロッカーで1人、静かに鈴虫の鳴き声を聞いて精神を集中させた王会長は、第2打席で世界新記録となる756号本塁打を放った。登美さんはセレモニーに参加し、ベンチ前ではチームメート一人一人に握手してまわった。
 かつては自身の著書「回想」の中で、「若いころの母は、気が強いが一面では優しく、しかも陽気な働き者だった。私にはこういう母が、女性のひとつの理想像として映るのだが、これは息子の欲目だろうか」と話していた王会長。それほど愛した母との別れ。「これからは(既に亡くなった)父親のそばで、まずは出会いを楽しんでほしいです」と、天国の両親に思いをはせた。

 ▼加藤良三コミッショナー 王貞治さん、兄の鉄城さんと立派な息子さんを育てられた。ご逝去は悲しいことでありますが、誰からも祝福されるべき人生ではなかったかと思います。

 ≪王会長の自宅ひっそり≫この日、都内にある王会長の自宅はひっそりとしたままだった。実母・登美さんが亡くなったことを受け、数社の報道陣が集まったが応対はなし。電報の配達や2人組の男性訪問客が押したインターホンにも応答はなく、王会長自身も不在のようで静かなままだった。

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