新「平成の名勝負」!中田4戦連発、マー君完封阻止

[ 2010年8月9日 06:00 ]

8回無死、中田は田中(手前)から左越えに4試合連続8号ソロを放つ

 【日本ハム1-7楽天】楽天・田中将大投手(21)と日本ハム・中田翔内野手(21)が8日、プロ公式戦初対戦。三振、一飛で迎えた8回の第3打席に、中田が4戦連発となる左越えソロを放った。

【試合結果


 中田はプロ初アーチから11戦8発の驚異的な本塁打ペースとなった。この一発で完封こそ逃した田中だったが、北海道への「凱旋登板」でプロ初の無四球完投勝利、2年連続の2ケタ勝利となる10勝目。野茂―清原、松坂―イチローに続く、新たな「平成の名勝負」が幕を開けた。2人の再戦が待ち遠しい。
 その瞬間、田中は顔をこわばらせた。中田との3打席目の対決。1ストライク1ボールからの3球目。内角高めに投じた141キロのツーシームを完ぺきに打ち返された。打球が左翼席に消えたことを確認すると、後悔と納得、2つの気持ちが胸中を交錯した。
 田中「もう1球いけると思っていた。打たれてから、向こうは狙っていたなと感じた」
 中田「コースは絞っていなかったけど、最後は速い球でねじ伏せにくると思っていた。だから、変化球は捨てて、真っすぐかシュートの速い球をずっと待っていた。打った瞬間、入ったと思いました」

 この打席。田中は初球、2球目と内角高めのツーシームを続けた。打ち取る確率を考えれば、楽天バッテリーにとって安全策は変化球だった。事実、捕手の嶋は「スライダーなら振っていたと思うけど、それでは第1打席と同じ配球になるし、今後の対戦も考えれば…」と振り返った。この日だけを考えれば、田中も変化球を選択しただろう。しかし、1歳年下との中田とは今後もライバル関係が続く。残りシーズン、来季以降も考慮すれば、攻め方をパターン化したくない。もちろん背景には7―0という試合展開もあった。そして、その心理を読み切った中田もまた大したものだった。

 ◆過去のマー君VS中田
 ▼05年8月19日 夏の甲子園準決勝で対戦。駒大苫小牧2年の田中は、2回1死で「5番・一塁」の大阪桐蔭1年・中田を打席に迎え、三ゴロ。5回は三振に抑えたが、7回1死では中田が詰まりながらも中前に運んだ。7回1/3を6安打4失点だった田中は、当時の自己最速149キロをマークし「調子は上がってきている」。試合は駒大苫小牧が6―5で勝利。決勝でも京都外大西を下して夏連覇を達成。
 ▼08年2月24日 沖縄・名護での練習試合。入団2年目の田中は、ルーキー中田に対して2回の第1打席は149キロの内角直球でのけぞらせ、最後は133キロスライダーで空振り三振。「周りが騒いでいたので意識はした」と話し、「中田君以外の質問はないですか?」。一方、4回の2打席目に四球を選んだ中田は「負けたと思っていません。四球も打者の勝ち」。

 ◆過去の平成の名勝負
 ▼野茂VS清原 トルネード投法の野茂(近鉄)と清原(西武)の対決は、直球を中心とした力勝負でファンを沸かせた。初対決は90年4月10日(藤井寺)。第1打席は空振り三振だった。3度目の対戦となった同6月3日(西武)には清原が本塁打。94年までの5年間で118打数42安打の打率・356、10本塁打、27打点、34三振だった。
 ▼松坂VSイチロー 怪物・松坂(西武)と天才・イチロー(オリックス)の初対決は99年5月16日(西武ドーム)。ルーキーだった松坂は3打席連続三振を奪い「自信から確信に変わった」。同年7月6日(神戸)にはイチローが通算100号アーチを放った。日本での対戦成績は34打数8安打の打率・235、1本塁打、4打点、4三振。メジャーでは19打数4安打の打率・211、0本塁打、1打点、4三振。

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2010年8月9日のニュース