古巣・広島“木村魂”継承誓う

[ 2010年4月8日 06:00 ]

01年3月12日、二塁を争う木村拓也巨人コーチ(左)と野村謙二郎現広島監督

 木村拓コーチが現役生活19年間のうち11年以上在籍した古巣・広島も悲しみに暮れた。神宮でのヤクルト戦を控えたチームは、都内の宿舎で黙とう。その後のミーティングで、野村監督は「彼の闘志、そして野球を愛する気持ちを受け継いで、グラウンドでプレーする。それがわれわれにできることだ」と、ナインに向け強い口調で呼び掛けた。2日の試合前に同コーチと言葉を交わしたという指揮官は「(木村拓コーチの)家が広島なので帰ったのかと聞いたら、朝早く帰ってきたばかりでまだ、とのことだった。子供が楽しみにしているだろう、と話したのが最後だった」と振り返った。その上で「いろんなポジションをこなせて、これだけチームを助けられる選手は今後出てくるかな、と思う。悔しい」と唇をかんだ。また、プライベートでも親交があった浅井打撃コーチは「子供も同じ学校に通っているし」と涙を流しながら話した。

 ▼広島大野ヘッド兼投手コーチ 現役時代も一緒だったし、アテネ五輪でも一緒だった。情熱があり、チームの雰囲気をつくってくれた。奇跡を信じていたけれど、残念としか言いようがない。
 ▼広島高橋 引退されたので、オフにタクさんの家族と一緒にパーティーに参加させていただいた。元気な姿だった。一緒に頑張ってきた仲間。あの小さな体で何でもやる男だった…。残念です。
 ▼広島石原 ショック。一緒にやって、いろいろな思いがある。入団してからいろいろと声を掛けていただいて、近くで見てきた。凄く熱い方でした。
 ▼広島東出 二遊間も組んだし、1番、2番も組んだ間柄だった。気持ちの強い人だった。

 ≪マツダスタジアム本塁付近に献花≫マツダスタジアムも悲しみに包まれた。木村拓コーチ死去の報を受け、球団職員約50人が同コーチが2日に倒れた本塁付近に集まり、松田オーナーが献花。その後に全員で黙とうし、哀悼の意を示した。同オーナーは「捕手、外野手、内野手、スイッチヒッターと自分が必要とされる場所を探し、挑戦し、それを成し遂げた人でした。苦労した経験を生かし、いいコーチになれると期待していただけに本当に残念です」と早すぎる死を惜しんだ。

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2010年4月8日のニュース