興南・我喜屋監督、モットーは「逆境を友達に」

[ 2010年4月3日 16:51 ]

 1968年の夏。興南高の主将として甲子園大会に出場し、沖縄県勢で初めて4強入りした。沖縄はまだ本土に復帰していない。バッグの中にはパスポートが入っていた。あれから40年を越える月日を経て今、母校を初優勝に導いた。

 高校を卒業後は社会人野球の大昭和製紙北海道でプレーし、74年の都市対抗大会で優勝した。現役を退いた後は監督も務めた。2007年の春、母校の監督に。「出来上がった社会人を教えるのと違って、多種多様な責任を持たないといけない」。そう覚悟した3年前の春を感慨深げに振り返った。
 北海道ではグラウンドに雪が積もる。沖縄では雨期にも似た梅雨がある。日本列島の北と南でハンディを乗り越えてきた。だからこそ「逆境を友達に」がモットーとなった。雨の日の練習では、長靴と雨がっぱ姿で白球を追わせる。「選手たちは水遊び心を持ってやり始める」といたずらっぽく笑った。ただし、踏ん張りがきかない分、足腰の鍛錬になるのだから、理にはかなっている。
 野球部の合言葉「魂・知・和」(こんちわ)が指導の根底にある。魂を込め、知識を広め、仲間との和を大切に―。部員に毎月、野球ノートを提出させる。丁寧に目を通し、練習中にさりげなく助言する。ある選手は「部員がたくさんいるのに、一人一人の個性を、見ていないようでよく見ている」と、うれしそうに打ち明けた。
 家族は寮母を務める夫人と、2女。沖縄県出身。59歳。

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2010年4月3日のニュース