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小林繁氏急死…球界衝撃 57歳早すぎる

[ 2010年1月18日 06:00 ]

2010年1月16日、日本ハムグループ商品展示会で元気な姿を見せていた小林繁氏

 巨人、阪神の元投手で、現日本ハム1軍投手コーチの小林繁氏が17日午前11時ごろ、福井市内の病院で心不全のため急死した。57歳だった。巨人のエースとして活躍していた同氏は「空白の1日」としてプロ野球界を揺るがした江川事件の“犠牲”となる形で、1979年2月にトレードで阪神に移籍。引退後は近鉄、韓国・SKでコーチを務め、09年から日本ハムで投手コーチを務めていた。春季キャンプを目前に、現役コーチが57歳の若さで波瀾(はらん)万丈の人生に幕を下ろした。

 波乱に富んだ野球人生を送ってきた小林氏が、57歳の若さで他界した。関係者によると、同氏は福井市内の自宅で午前6時半に起床したが、その2時間後に「背中が痛い」と訴え体調が急変。静子夫人のマッサージで症状は一時緩和したものの、その後に倒れた。同夫人が救急車の出動を要請したが、救急車が到着した時点ですでに心肺停止状態。搬送先の病院で心肺蘇生(そせい)術が施されたが、午前11時ごろに死亡が確認された。心筋梗塞(こうそく)による心不全だった。

 夜には同氏の個人事務所関係者がインターホン越しに報道陣に対応。「遺体は病院から戻ってきました。どこか悪いという話は聞いていなかった」と言葉少なに話した。

 小林氏は前日に都内で行われた日本ハム本社の商品展示会に梨田監督、ダルビッシュらとともに参加。特に変わった様子はなく、いつものように冗談を飛ばしながら談笑する場面が目撃されており、その日の夜には自宅のある福井に戻っていた。今月10、11日には自らが総監督を務める中学生硬式野球チーム「オールスター福井」を指導。突然の訃報だった。

 小林氏は72年に巨人入り。76、77年はともに18勝を挙げて長嶋茂雄監督のリーグ連覇に貢献した。しかし、江川事件のあおりを受ける形で、79年の春季キャンプ直前に巨人から阪神へのトレードを通告された。激しいショックを受けながらも、「12、13年しかユニホームを着ていられないのだから、自分を商品と思い、できるだけ高く売ることが得策だと考えた」と移籍を承諾。同年に対巨人戦8連勝を含む22勝を挙げて、2度目の沢村賞を獲得。83年に引退するまで悲劇のヒーローとして、阪神ファンのみならず国民的な人気を博した。その後はTBSで野球解説者、スポーツキャスターなどとして活躍。当時では珍しく大リーグの野球を深く研究し、試合の流れを組み立てる中継ぎ投手の重要性を主張。日本球界に「セットアップ(中継ぎ)」という言葉をいち早く広めたのは同氏だと言われている。

 そして、97年に近鉄投手コーチとして現場復帰。退団後は韓国・SKでコーチを務め09年からは日本ハムに。2軍投手コーチとして、糸数や江尻をサイドスローに転向させて才能を開花させるなど手腕を発揮。同氏が指導した若手がリーグ制覇の原動力となり、昨年11月に梨田監督の強い要望で1軍投手コーチに配置転換された。今月12日には千葉・鎌ケ谷でコーチ会議に出席。「どこまでやれるか分からないが、精いっぱい頑張る」と所信表明したばかりだったが、その夢もかなわぬものとなった。現役コーチの早すぎる旅立ちに31年前の電撃トレード同様、球界に再び衝撃が走った。

 ◆小林 繁(こばやし・しげる)1952年(昭27)11月14日、鳥取県生まれ。由良育英―全大丸を経て71年ドラフト6位で巨人入団。76年から2年連続18勝、77年沢村賞受賞など頭角を現すも、江川の巨人入団に伴う交換トレードで79年に阪神へ移籍。同年22勝で最多勝。83年まで8年連続2ケタ勝利を挙げ、同年に現役を引退した。97~01年に近鉄の投手コーチとして01年のリーグ優勝に貢献。07、08年は韓国プロ野球SKの2軍投手コーチを務め、09年に日本ハムの2軍投手コーチに就任。今年から1軍の投手コーチに昇格した。通算成績は374試合で139勝95敗17セーブ、防御率3・18。

 ◇小林繁氏葬儀日程
【通夜】19日(火)午後6時
【告別式】20日(水)正午
【場所】千福寺りんどうホール=福井市松本4の8の7=(電)0776(29)1292
【喪主】妻静子(しずこ)さん

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