来たぜ函館!松中 2戦連続弾で単独首位

[ 2009年7月6日 06:00 ]

<日・ソ>3回1死一塁、12号2ランを放った松中信彦

 【ソフトバンク3―2日本ハム】松中の2戦連発で単独首位だ。ソフトバンクは5日、松中信彦外野手(35)の2試合連続となる12号2ランなどで3回に3点を奪い、日本ハムとの首位攻防戦に連勝。“函館決戦”を制し、昨年4月2日以来となる単独首位に立った。チームも区切りの40勝に到達し、貯金は今季最多の13となった。

【試合結果


 インタビューを終えた松中は、スタンドのファンへサイン入りのボールを投げた。だが、下手投げだ。ひじの痛みはそれほどひどい。そんな手負いの主砲が復活し、2試合連発でチームを単独首位へと押し上げた。
 「交流戦はチームに迷惑を掛けた。4番らしいバッティングをしようと思った。2位より首位の方がいいけど、目の前の試合を勝っていくことだけですね」
 0―0の3回無死二塁で川崎がバントを失敗(捕邪飛)したが、続くオーティズが右前適時打。そして松中がスウィーニーの129キロのフォークを右翼芝生席へ運んだ。チームトップタイの12号2ランは仲間のミスを帳消しにする一発だった。本塁打1本につきマングローブの苗木1000本を寄付すると発表した2日のオリックス戦では、本塁打の判定が覆され“幻の一発”となったが、その悔しさを晴らすような2戦連発だ。
 交流戦で左ひじ痛に襲われた。医師の診断でオフの手術も決まった。守れないため、交流戦で優勝した6月16日の中日戦(金沢)も代打のみ。最後の横浜2連戦(横浜)は欠場した。「練習するしかない」と交流戦後の2日間の休日も返上。無安打だった同30日のオリックス戦後は手のマメが破れて日付が替わる寸前まで特打をした。努力はウソをつかなかった。
 函館オーシャンスタジアムは改築した94年以降プロアマを含め本塁打プレートを製作。松中は172本目となった。両翼99・1メートルの同球場を昨年5月に訪れた王前監督(現球団会長)が、07年9月に1試合2発を記録した旭川大・難波勝(現航空自衛隊千歳)のプレートに興味を示し調査を命じたことも。本塁打が出にくい球場での2戦連発はそれだけ価値がある。
 昨年4月2日以来の単独首位に立ったが、秋山監督は「まだまだ6連戦も続く。これからが大事」。松中も「去年は7月から落ちた。これから3カ月が大事」と同じ言葉を残した。主砲の復活にもチームに慢心はない。

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2009年7月6日のニュース