津軽海峡渡ったけど…越えられない“白河の関”

[ 2009年4月2日 17:37 ]

 東北勢が春の甲子園大会で決勝に臨むのは2001年の第73回大会の仙台育英(宮城)以来2度目になるが、またしても厚い壁にはね返されて、悲願はかなわなかった。

 夏の甲子園大会では5度決勝に挑戦してきた。1915年の第1回大会で秋田中(現秋田、秋田)が延長13回サヨナラ負け。ここから苦難の歴史が始まった。
 これ以降、東北のチームは半世紀以上も決勝の舞台から遠ざかっていた。だが、69年夏の決勝では三沢(青森)が松山商(愛媛)と高校野球史に残る死闘を演じた。延長18回、引き分け再試合の末に無念の敗戦となった。
 71年夏の磐城(福島)、89年夏の仙台育英も決勝で涙をのんだ。03年夏はダルビッシュ有(現日本ハム)を擁した東北(宮城)が常総学院(茨城)に屈した。
 04、05年夏と北海道の駒大苫小牧が2連覇を達成したことで、優勝旗は津軽海峡を渡った。だが、東北勢にとっては、どうしても「白河の関」は越えられない難所になっている。

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