忘れない…清原伝説終幕 最後は豪快三振締め

[ 2008年10月2日 06:00 ]

<オ・ソ>試合後の引退セレモニーで花束を持ってきた愛息2人を抱きかかえ号泣する清原

 【オリックス4―1ソフトバンク】涙、また涙。いつまでも涙は止まらなかった。オリックス・清原和博内野手(41)が1日、今季最終戦となったソフトバンク戦で現役を引退した。最後の試合にふさわしい「4番・DH」で出場。6回には通算2122安打目となる適時二塁打を放ち、有終の美を飾った。試合後に行われた引退セレモニーでは号泣。栄光と挫折を味わった23年間のプロ野球人生がついに幕を下ろした。さらば、清原和博――。

【清原引退記念グッズ


 こらえきれない。全身が、唇が震え、涙がボロボロとこぼれ落ちる。兄貴と慕う長渕剛が目の前で「とんぼ」を熱唱。満員のファンの大合唱も耳に響く。タオルを左手に涙を流し続けた。ついに別れの時がやってきた。
 「天国の仰木監督!オリックスのユニホームを着たことを誇りに思い、きょう引退させていただきます」
 ラストもフルスイングだった。通算9428打席目。8回1死、ベンチのオリックスナイン、そして観衆が総立ちで見つめる中、現役最後の打席は139キロ直球に空振り三振に終わった。06年9月8日の日本ハム戦(スカイマーク)以来の「4番」での先発。ストライクはすべて振った。スピードについていけず、往年の鋭いスイングはもう見られない。それでも最後のアーチを追い求めた。6回1死一塁で右中間二塁打。二塁ベース上で目を潤ませた。
 「杉内君には全球直球で感謝してます。あの直球を空振りして“終わったな”と納得しました。悔いが残るとすれば息子たちにホームランを見せたかった」
 涙に始まり涙に終わった野球人生。85年ドラフトでは熱望していた巨人の王監督から1位指名されず悔し涙をこぼした。最後も王監督率いるソフトバンク戦。当時の誤解はすでに解け「運命的なものを感じた」という。試合前には花束を贈呈され「来世生まれ変わったら一緒に同じチームでやろう。そこでホームラン競争しよう」と声をかけられた。「あの言葉は一生忘れない」。涙がこぼれた。
 PL学園で桑田とのKKコンビで甲子園を沸かせ、西武では黄金時代を築いた。97年にFAで念願の巨人に移籍したが、故障に苦しみ、9年在籍後、05年に戦力外通告された。フロントからねぎらいの言葉もなかったが、生まれ育った大阪が温かく迎え入れた。「お前の花道をつくったる」。故仰木彬元監督の遺志に導かれ、オリックスに移籍し「仰木さんが誘ってくれなければ、恨みしか残らなかった。仰木さんには感謝することを教えてもらった」と振り返った。
 昨年2月に左ひざを手術したが、痛みが消えずに5月には一度引退を決意。だが、自問自答した。「仰木さんは最後まで闘った。オレもこのひざと闘おう」。7月、再起した前例のない軟骨移植手術に踏み切り、1年1カ月に及ぶ闘いを経て、8月3日、695日ぶりに1軍へ戻ってきた。
 「何もできなかったけど、最後の年にチームがCSに行けてうれしい」。ローズには最後までCS出場を懇願されたが、若手に出場枠を譲った。
 セレモニーの最後には、仲間の手によって宙を舞った。通算2000本安打、500本塁打を記録したが、タイトルとは無縁。無冠の帝王はサヨナラ本塁打、三振、死球のプロ野球記録を「いつ獲ったか分からないタイトルより誇りに思う」と笑った。ランの一種である黄色の「オンシジューム」による“花道”。記録よりも記憶に残る希代のスーパースターは、フルスイングとともに別れを告げた。

 ≪長男も泣いた≫亜希夫人は、清原の両親とともに静かに最後の雄姿を見届けた。試合後のセレモニーでは、清原のあいさつが終わった後、6歳の長男と3歳の次男が登場。大好きなパパに元気よく歩み寄ると、花束を贈った。長男が涙をぬぐうと、清原は感極まった表情を浮かべた。太い両腕で2人の子供を抱きかかえると、スタンドのファンに向かって再度一礼をした。

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