ファウルはノーカウント…100年前なら300安打?

[ 2008年9月18日 12:17 ]

 イチローに先駆けて8年連続200安打を達成したキーラーの全盛期は、100年以上も昔だった。この時代は野球のルールそのものが現在と少々違っていた。

 たとえばキーラーが活躍した時代は、ファウルボールがストライクにカウントされなかったし、3バント失敗が三振となるルールもなかった。
 今、1900年以前のルールで戦えばどうなるか。そんな問いにイチローは「それなら300本打てるかもしれない」と表情を崩してから、少し考えて「250本は最低でも打てると思う」と言った。同僚の城島は「空振りでないとストライクにならないということは、早いカウントからウイニングショットをどんどん投げさせなくてはいけない」と想像を膨らませた。
 1901年、公式戦の試合数は最大で140前後しかなかった。最多本塁打はサム・クロフォード(レッズ)の16本。ルールだけでなく、ゲームの進め方や環境そのものが違っており、単純比較は不可能だ。しかし、一世紀をまたいだ8年連続200安打がさまざまな空想の扉を開いてくれることは確かだろう。

 ▼ウイリー・キーラー 1872年ニューヨーク生まれで左投げ左打ちの外野手。身長165センチ前後と小柄ながら、巧みなバット操作やバント、俊足を生かし、94年から1901年まで8年連続200安打をマーク。首位打者も2度獲得。97年には44試合連続安打を記録し、98年には216安打のうち206本が単打だった。大リーグ19年間の通算成績は2932安打、33本塁打、495盗塁、打率3割4分1厘。1923年に死去、39年に野球殿堂入り。(共同)

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2008年9月18日のニュース