第12回 ダイブ重傷、ひじ手術10月でよかった

[ 2008年8月13日 06:00 ]

 プロ10年目。自分でも集大成の年になると確信していた。肉体的、技術的、精神的にも最高の時だと。それが…。あの時フライを捕りにいって、ひじを突いた時に「プチッ」という音が聞こえた。人工芝に引っ掛かった感じでアンダーシャツがめくれて、最後にピュッと引っ張られた時に嫌な音を耳にしてしまった。

 95年5月24日の阪神戦(東京ドーム)。5回1死一、二塁で阪神・湯舟が打ち上げた飛球を捕ろうと、桑田は三塁ファウルゾーンにダイビング。右ひじ内側側副じん帯一部断裂の重傷を負った。
 マウンドに戻って軽く投げてみると、あれ、おかしい。ボールをリリースする感覚がない。70、80%の力では痛みはない。100%近く力を入れると、腕がついてこないし、痛みがあった。80%ぐらいで投げていると、見ている人には「いけるじゃないか」と何度も言われた。でも自分の中では終わっていたね。2カ月ノースローなら治る、と言われて試したけど駄目だった。結局、10月に手術を受けることにした。
  桑田は10月10日、米ロサンゼルスのセンチネラ病院でF・ジョーブ博士の執刀により、左手首の腱を右ひじに移植する手術を受けた。試合での登板までは1年。翌年の出場は絶望的だった。
 あの時は、1日も早く手術をと焦っていた。でも今考えれば、あのタイミングでよかったと思うんだ。例えば6月に手術していたら、次の年の球宴後には投げていたかも…。それで無理して、また再発という可能性もあった。10月に手術したことで、2度のオフと1シーズンをかけたリハビリ…。だからこそ、今まで10年以上も投げることができたのかもしれない。
 マスコミには当時「仮病だ」とか「ちょっと傷を付けただけで手術なんかしていない」とまで言われたし、もっとひどいことは「次の年にメジャーに行くから、体を休めているんだ」って…。確かに、オファーはサンフランシスコ・ジャイアンツなどから頂いていましたよ…。あの頃は(借金返済は)メジャーに行って、大きな契約を取って返すしか道はないと思っていた。球団ともそのことについてよく話はしていたんだ。結局「行けるわけないだろう」ということで話が落ち着くんだけどね。その頃の自分は、大リーグに行って成功するしか道はないんだと真剣に考えていた。でも、手術前だったらメジャー移籍の可能性があったけど、手術後は難しかったし、自信もなかった。その後、運良く僕はFA資格を2度取って、巨人といい契約をさせてもらいました。
 リハビリも長かった。つらかったですよ。でも今、その経験がプラスに変わっているからね。今は本当にいい思い出になっているんだ。<紙面掲載 2008年4月27日>

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2008年8月13日のニュース