意外な共通点 イチローと昭和の安打製造機

[ 2008年7月30日 09:16 ]

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 昭和の安打製造機と平成の安打製造機は俊足という点でも共通している。 日米通算3000本安打を達成したマリナーズのイチロー外野手の盗塁数は29日(米時間)現在505個。
 日本のプロ野球界でただ1人3000本安打を記録していた、元東映、巨人、ロッテの張本勲外野手(通算3085安打)も実は通算319個も盗塁を記録しているのは、あまり知られていない。
 選手時代の後半期は恰幅も良くなり、足はそれほど期待できなかったが、東映時代は俊足の選手だった。数だけでいえば、あの大洋(現横浜)のスーパーカートリオの1人で盗塁王も獲得した高木豊内野手の321個とほぼ同数である。

 1963年(昭38)に張本は41盗塁をマーク。パ・リーグの盗塁王は南海の広瀬叔功外野手で45個。惜しくも盗塁王のタイトルを逃したが、張本選手は入団から20年連続して盗塁を記録していた。

 俊足のイチローも内野安打は全体の2割前後と多いが、張本選手も20歳代の時はイチローとほぼ同じ確率だった。

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2008年7月30日のニュース