【内田雅也の追球】「徐々に」という金言

[ 2024年1月10日 08:00 ]

岡田監督が新人当時、合同自主トレ初日の模様を伝える1980年1月11日付のスポニチ(大阪本社発行版)
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 阪神監督・岡田彰布は鳴尾浜球場で始まった新人合同トレーニングを眺めながら、「昔はこういうのじゃなかったんよな」と、自身の新人当時を思い返していた。「1月10日やったかなあ。35歳の竹之内さんなんか合流しとったからなあ。ちょっと、この自主トレの感覚は昔と違うんよ」

 早大からドラフト1位で入団した1980(昭和55)年、記憶の通り1月10日だった。甲子園球場で合同自主トレが始まった。また記憶の通り、同年35歳になる竹之内雅史、31歳になる山本和行らベテランも含め総勢41選手が参加していた。

 当時は球団管轄の下、自主トレという名の合同練習が行われていた。12月~1月のポストシーズンの明確化で、今は新人に限り、球団の指導は認められている。

 当時の合同自主トレはなかなかハードだった。本紙紙面を見返せば、翌11日付3面で<プロの汗 岡田発進>の大見出しに<きつかった!! みっちり三時間><縄とびでアゴ出す>の見出しがある。最後のメニュー、グラウンド12周で100メートルほど遅れ、締めの縄とびも苦しかったようだ。記事では岡田が「想像していた以上にきつかったですね。途中で足が張ってきて……。縄とびも腕が痛くなってしまいました」と話している。そして、「徐々に体をならしていきます」とマイペースの調整を宣言している。

 この「徐々に」というのは大切な姿勢である。新人として「いいところを見せよう」と力めば、故障につながる。

 だから、この日も新人選手たちを前に「無理するな」と訓示したのだ。「無理してけがすれば、自分も損だし、チームもマイナスになる。アピールしたい気持ちはあると思うが、無理せず徐々にやっていけばいい」

 監督に復帰した昨年も同じ訓示だった。監督として新人に対する信念がひそんでいる。岡田には「新人選手はスカウトが評価した、その最高の状態になるまで待つ」という基本姿勢がある。

 阪神では過去、無理を強いて、金の卵をつぶしてきた、苦い歴史がある。岡田の「徐々に」は新人育成の金言である。

 最後に。岡田は元日から前日8日まで、夫婦でオーストラリアに旅行していた。黒く日焼けした顔で「(顔が)白いなあ」と笑いかけた。「オレは元気よ」。新年初めて顔を見せた岡田に、何と言うか、連覇への期待が高まった。 =敬称略= (編集委員)

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