【内田雅也の追球】高校野球の手本に――開催の機会を模索するセンバツ

[ 2020年3月5日 08:00 ]

オープン戦の降雨中止が決まった甲子園球場
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 海草中(現和歌山・向陽高)は「全員で優勝旗を返しにいこう」を合言葉に校内で合宿に入っていた。前年の優勝投手、真田重蔵(後に松竹、阪神など)ら選手たちは深紅の優勝旗を合宿所の同窓会館に持ち込み、房をちぎってお守りにした。

 夏の甲子園大会(全国中等学校優勝野球大会=今の全国高校野球選手権大会)3連覇に向け、仕上げの時期だった。

 1941(昭和16)年7月15日、練習後に集合がかかった。監督・長谷川信義が「予選は中止となった」と告げた。12月には日米開戦となる戦局は深刻化し、敵性競技の野球排撃が始まっていた。13日には不要不急の旅行や移動を禁止する文部省次官通達が発令され、大会は中止となった。

 校友会誌『海草』にその時の光景がある。<本気にしないのが当たり前だ。選手たちは飯に見向きもせずに、肩にすがり、手を握り合って、顔を見つめては泣いた>。

 4日、全国各地で同じ涙が流れるのではないか……とみていた。甲子園室内で阪神の練習を見届け、夕方に大阪・江戸堀の中沢佐伯記念会館に向かった。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、第92回選抜高校野球大会(19日開幕・甲子園球場)の開催可否にかんする会見である。無観客試合での開催を準備し、11日にあらためて決断する方針が示された。予断は許さないが、ひとまず中止は避けられた。

 大会会長で毎日新聞社社長・丸山昌宏は「憧れの甲子園で何とかプレーさせてあげたい」、日本高校野球連盟会長・八田英二も「球児の夢の実現に向けて最大限努力する」と繰り返した。
 その球児の夢と憧れは真田ら海草中選手が流した涙が示している。それは昔も今も変わらない。

 何も戦争と一緒に論じるつもりはない。だが、新型肺炎で亡くなった方々もいる。命の重さを思いながらの球春となる。

 そんなセンバツが大会を遂行させるには出場校の安全、健康面を最優先させねばならない。そのためにも、プロ野球は、特に甲子園球場を本拠地とする阪神は手本となりたい。

 大会本部は日本野球機構(NPB)とサッカー・Jリーグが主催する「新型コロナウイルス対策連絡会議」(9日)にも出席するという。プロ野球もオープン戦を無観客で開催中だ。この日、今春初の甲子園での試合は中止だった。

 「春はセンバツから」という先人がうたった惹句(じゃっく)がある。甲子園に球春を、球児たちを招きたい。まずは阪神が、安全・健康に、そして白熱した試合ができることを示そうではないか。            =敬称略=
           (編集委員)

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2020年3月5日のニュース