チャレンジド・アスリートの軌跡 ~障がい者スポーツ~

車いすバド小倉理恵 “一人三役”子育ても仕事も競技も全力スマッシュ

練習でシャトルを打ち返す小倉理恵
Photo By スポニチ

 バドミントン車いす女子の小倉理恵(30=東芝)は、昼間は最先端の職場で電気自動車(EV)用電池の開発設計などに取り組み、家に帰れば2児の子育てに奮闘。さらに週末は選手として猛練習に明け暮れ、15年の世界選手権で見事に銅メダルを獲得した。バドミントンは3年後の東京パラリンピックで初めて正式競技として採用されることが決まっており、スーパーウーマンは子育て、仕事、選手の一人三役をこなしながら、悲願の金メダルを目指している。 (藤山健二、首藤昌史)

 〜東芝府中工場で開発設計を担当〜
 小倉の一日は朝6時の起床から始まる。小学4年の長男優翔(ゆうと)くんと1年の長女美優(みゆ)ちゃんを起こして朝ご飯を食べさせ、学校に送り出す。7時半に埼玉県所沢市の自宅を出て電車に乗り、8時15分に東芝の府中工場に出社。蓄電池応用機器開発設計課でEV用電池や原発のバックアップ電源の開発設計に取り組む。時短契約で午後3時には退社できることになっているが、残業で定時の5時になってしまうことも多い。家に帰ればすぐに夕飯の支度をして夫の浩司さん(36)や子供たちと家族団らんのひとときを過ごし、夜10時には眠りにつく。文字通り息つく暇もない毎日で「なかなか平日の練習時間が取れない」のが悩みの種だが、「夫が家事を手伝ってくれるので週末は練習に集中できる」と言う。

 〜下半身の関節が生まれつき拘縮〜
 生まれつき下半身の関節が拘縮する「先天性多発性関節拘縮症」だった小倉が、初めてラケットを握ったのは16歳の時だった。豊島岡女学園高1年の時にダイエット目的で北区の東京都障害者総合スポーツセンターに通うようになり、そこで夫の浩司さんと出会った。当時、浩司さんの父は車いすバドミントンのクラブに通っており、浩司さん自身も一緒に練習していた。その影響で小倉もバドミントンに取り組むようになったものの、当初は遊びの一環にすぎなかった。6つ年上の浩司さんとは信州大に在学中に結婚。「就職後に産休を取るのが嫌だから」と学生時代に1男1女を出産した。

 〜採用吉報に重圧「これはマズイ」〜 
 妹の美優ちゃんを出産した後、たまたまバドミントンのトップ選手たちと一緒に練習する機会があり、その流れで11年の日本選手権に出場した。結果はシングルス、ダブルスとも惨敗。帰りの車内で夫に「負けてヘラヘラ笑っているようじゃダメだ」と叱られ、持ち前の負けん気が頭をもたげた。コーチ役の夫に家事を手伝ってもらい、仕事と育児の合間に必死に練習を続けた。翌12年の日本選手権はシングルスで3位に躍進。13年にはついにシングルスで優勝、ダブルスも準優勝に輝き、一躍トップに躍り出た。

 14年10月に国際パラリンピック委員会(IPC)が、20年東京大会でバドミントンを正式競技とすることを決定。吉報を聞いた小倉は「うれしいより先に、これはマズイなと思った」と言う。「立場上、私がみんなを引っ張っていかなくちゃならないし、当然メダルを期待される。大丈夫かなって…」。第一人者ならではの不安に打ち勝つため、小倉はさらに練習に打ち込んだ。競技としてのバドミントン歴が浅い小倉はラケットワークでは経験豊富な外国勢に劣るが、車いすを自在に操るチェアワークでは誰にも負けない自信がある。夫の協力も得て、得意なチェアワークにさらに磨きをかけ、15年の世界選手権(英ストーク・マンデビル)ではついに銅メダルをもぎ取った。

 それから2年。東京大会での実施が決まって以後、国内外のレベルアップは著しく、安穏としていられない日々が続く。そんな小倉の一番の原動力になっているのは可愛い子供たちの存在だ。小さい頃から練習に同行していた兄の優翔くんは見よう見まねでバドミントンを覚え、昨年は初めて関東大会に出場するまで成長した。「私にとって一番大切なのは育児。次が仕事と競技。でも、中途半端にバドミントンに取り組むことは子供たちにもいい影響を与えないので、今はとにかく東京を目指して全力で頑張ります」。家族に支えられ、そして家族のために、頼もしいお母さんは今日も一人三役に奮闘している。

 【背景】
 「正座の状態で生まれてきた」という小倉は、生まれつき両足の膝関節や足首の可動域が狭い。幼稚園の頃から関節を伸ばすための手術を繰り返し、ようやく立って歩けるようになったが、今も膝を真っすぐに伸ばすことはできない。それでも小学生の頃はクラッチ(つえ)も車いすも使わず生活をしていたが、長男の優翔くんを妊娠したのを機に車いすを使用するようになった。

 競技用の車いすは生活用とは別の特注品で、40万円はする。ラケットや消耗品のシャトル代もかさむ。座ったまま強烈なスマッシュを打つためには背中を極端に後ろに反らさなくてはならず、腰痛も日常茶飯事だ。それでも2児のお母さんは「子供たちの前で弱音は吐けない」と必死に頑張っている。

 【支援】
 小倉をフィジカル面でサポートしているのが、埼玉県ふじみ野市に本社があるフィットネスクラブ「わらわら」だ。昨年2月に小倉からのオファーを受け、無償指導をスタート。担当する板井俊憲さんは「パラアスリートの指導は試行錯誤の連続だった」と振り返るが、現在はリオ・パラリンピックの車いすラグビーで銅メダルを獲得した島川慎一や、車いすテニスの田中愛美らも指導する。根底にあるのは「埼玉出身のアスリートを世界の舞台に」の理念。小倉は現在も週1度、ケガをしない体づくりや体幹強化などの指導を受けており「専門家に聞くまで知らないことが多かった。非常に助かっています」と話している。

 【競技】
 パラバドミントンは脊髄損傷などの「車いす」と機能障がいなどの「立位」に分けられ、障がいの程度に応じてクラスごとに試合を行う。「車いす」は障がいの重い方からWH1、WH2にクラス分けされ、小倉はWH2でプレーしている。ネットの高さやコートの大きさ、ルールなどは一般用とほぼ同じだが、「車いす」のシングルスはコートの半分だけを使用する。ネットとネットに近いサービスラインの間に落ちたシャトルはアウトとなるが、コートが狭い分、一こぎでシャトルの落下地点に入る素早いチェアワークが要求され、スピーディーな攻防が繰り広げられる。

 【現状】
 日本障がい者バドミントン連盟によると、公認大会に出場することができる登録者は車いす、立位、知的障がいの各クラス合計で約120人で、そのうち39人(男子27人、女子12人)が強化選手に指定されている。シングルス、ダブルスなど東京大会での実施種目はまだ決まっておらず、最終決定は今年12月頃になるとみられる。小倉がプレーする車いすのWH2は圧倒的にアジア勢が強く、中国、タイ、韓国などがライバルとなっている。今年予定されている主な大会は、9月のジャパンオープン(東京都町田市)と11月の世界選手権(韓国・蔚山)、12月の日本選手権(長崎市)。ジャパンオープンは日本で初めて行われる本格的な国際大会となる。

 【略歴】
 ☆生まれ 1986年(昭61)4月9日、埼玉県熊谷市。豊島岡女学園高から信州大。
 ☆リケジョ 大学受験では「ありふれたものではないことをやりたい」と信州大の繊維学部繊維システム工学科に進学。衣類を作るためのプログラミング化や最新繊維の光ファイバーなどを学び、卒業後は東芝に入社。長野の佐久工場の閉鎖に伴い、府中工場に移った。
 ☆趣味 手芸、アウトドアなど。キャンプでのバーベキューが何よりの楽しみ。
 ☆好物 南高梅を樽(たる)で購入するほど梅干しが大好き。苦手なものはパクチー。
 ☆音楽 いきものがかりの大ファン。
 ☆特技 睡眠。「どんなに忙しくても8時間は寝る」とか。

[ 2017年2月1日 05:30 ]

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