ラグビー代表メンバー選考 選手にもう少し配慮あっても良かったのでは

[ 2019年6月4日 14:24 ]

2017年6月のアイルランド戦で突進する松橋
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 ラグビーW杯日本大会開幕まで109日となった6月3日、7月に行われるパシフィックネーションズ杯(PNC)に向けた日本代表宮崎合宿メンバー42人が発表された。昨年12月に発表された第三次W杯トレーニングスコッド39人、ナショナル・デベロップメント・スコッド(NSD)18人に加え、のちに追加招集された数人を含む約60人の候補が3分の2に絞られた格好だ。まずは42人が第一関門を突破したと言える。

 ラグビーに限らず、代表選考は重要性が増すほど、賛否両論あるのが世の常。15年大会で主力だった16年共同主将のCTB立川理道(クボタ)、サモア戦で見事なトライを奪った山田章仁(NTTコム)の落選は、発表会見でもジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチに質問が飛び、昨季は神戸製鋼の復活日本一に大きく貢献したSH日和佐篤の落選と合わせ、今回の選考の一番の関心事となった。

 ただ、ジョセフHCが就任した16年秋からの3年間を振り返れば、決して驚きとは言えない選択だった。例えば立川を例に挙げれば、スコッド入りを逃した昨秋が節目となっていたのは明らか。年が明けて練習生の立場からチャンスをつかみ、サンウルブズや5月のウルフパック(W杯代表候補)の遠征には参加していたものの、与えられたプレータイムは決して十分ではなかった。その点では山田や日和佐も同様。選考対象にしておきながら、結局はまともに競争をさせていないではないか。そうした意見もあるだろうが、それもまたジョセフHCの考え方。15年W杯で指揮を執ったエディー・ジョーンズ前HCも、実際にW杯前年には31人の陣容をほぼ固めていたと振り返っている。

 42人中、W杯経験者は12人。少ないと論じる向きもあるようだが、過去のW杯を振り返ればそうとも言えない。87年の第1回大会後からのW杯経験者数の推移は、91年が8人、95年が15人で過去最多、99年8人、03年11人、07年7人、11年9人、15年11人となる。最終的に何人が残るかは分からないが、10人前後が31人に残れば、浮き足だつ若手を落ち着かせることが可能だろうと思う。

 一つだけ、今回の選考に注文を付けるとしたら、その過程だと思っている。発表は6月3日だったが、選手本人や所属チームなどに当落が通知されたのは、11日前の5月23日だったという。宮崎合宿に向けた準備や諸処の契約処理などを考慮すれば、事前の通知は致し方ない。今回に限らず、代表発表の10日前後に通知されるのも、通常通りだという。

 だが、通知2日後の5月25日には、サンウルブズが秩父宮でレベルズと対戦した。1週間後の6月1日には、国内最終戦だったブランビーズ戦が行われた。落選を突き付けられ、それでもグラウンドに立たなければならない選手の気持ちをおもんぱかれば、もう少し配慮があって良かったのではないか。

 5月27日のサンウルブズ再合流初日。千葉県市原市のグラウンドでの練習後、歯切れの悪い言葉でW杯への思いを語った松橋周平の、こみ上げるものを抑えつけるような表情が忘れられない。サンウルブズの試合そのものが選考対象であり、日本代表やW杯に向けての機運醸成の一翼を担っていることを考えればなおのこと、選手を気持ちよく試合に送り出せる状況をつくって上げるべきだったのではないか。

 基本的には今回の42人から、W杯メンバー31人が選ばれることになる。ジョセフ体制下でのこれまでの流れを振り返れば、個人的には31人の面々が浮かび上がってくるのも事実だ。だが、そうした予想をも裏切ってくれればこそ、極上のストーリーが生まれるはず。取材に応じた日の、松橋の最後の言葉は力強かった。「どんなチャンスがどこに転がっているか分からない。いいプレーをして、逆に呼びたいと思わせたい」。42人を突き上げる選手の存在が、この国の力を引き上げてくれるはずだ。(記者コラム・阿部 令)

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