元ホームレスがNFLでデビュー パンサーズのオールド・ルーキーが輝いた瞬間

[ 2018年10月7日 08:00 ]

パンサーズでNFLデビューを果たしたオバーダ(AP)
Photo By AP

 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】エフェ・オバーダは8歳で母とともにナイジェリアからオランダに移住した。生活は苦しく、10歳になると妹とともに英国へ。そして「母の知人の女性に引き取られる」はずだったが、同行した男性はロンドン東部の路上で突然、姿をくらました。

 まさに「人身売買(Human Trafficking)」。ブローカーと思われるその男性はオバーダの母から金銭を受け取った段階で、もう何もしないと決めていたのだろう。

 しかしまだ10歳の少年は見知らぬ土地に放り投げられながらも懸命に頑張った。当初、世話になる予定だった女性が住むビルの警備員に「ここに住むことになっています。お願いします」と食い下がる。なんとか中に入れてもらい、その家で5年間、面倒を見てもらった。

 ところがその女性には5人の子どもがいて生活には余裕がなかった。ほどなくして養護施設に送られてまた生活は不安定になる。その後、次から次へといろいろな家庭に引き取られて青春時代を過ごした。

 教育もろくに受けておらず戸籍もないので仕事には就けない。打ちひしがれたオバーダは犯罪グループの面々と付き合うようになった。一時は完全にホームレス。社会からは忘れられた存在だった。

 大リーグのベーブ・ルース、ボクシングのジョージ・フォアマン、そしてNBAのデニス・ロッドマン…。スポーツ界には社会の底辺、人生のどん底からはい上がってきたスター選手が数多く存在する。オバーダの場合、その最深部にいた部類の1人だと思う。

 幸いだったのは彼自身が「人生を変えたい」と願い続け、さらにロンドンに本拠を置いていたアメリカン・フットボールのプロチーム「ウォリアーズ」に幼なじみの友人がいたことだった。

 オバーダが“アメフト”という競技を初めてプレーしたのは22歳。1メートル98、120キロというサイズに注目したその友人が声をかけたからだった。すぐにウォリアーズのコーチがオバーダの潜在能力に注目。つながりのあるNFLの名門カウボーイズに連絡が入り、アマチュアで5試合しか出場していないのに、元ホームレスは再び海を渡って米国の土を踏んだ。

 とはいえ、どんなに身体能力がすぐれていてもすぐにNFLの選手として活躍できるはずもない。ルールも用語も技術もわからず、試合に必要な駆け引きにいたっては何一つ持ち合わせていなかった。以後、練習だけに週給制で参加できる「プラクティス・スクワッド」の一員としてチーフス、ファルコンズと渡り歩く日々。どん底からは抜け出したが“光”は差し込んでこなかった。

 転機は2017年。NFLが外国の選手の発掘のために設けた「国際パスウェイ・プログラム」という制度の対象にオバーダがなったことだった。該当ディビジョンはナショナル・カンファレンス(NFC)南地区の4チーム。オバーダはディフェンスのラインマンとして同地区に所属しているパンサーズに配属された。

 もちろんプラクティス・スクワッドの特別枠で、チーム本隊に昇格することはできなかった。同年9月1日にいったん解雇。それでも「練習要員」という身分ながら、これまでとは違ってリーグが設けたプログラムの中で「育てられる」という経験に恵まれた。

 これが人生の岐路につながる。今年1月8日、オバーダはパンサーズと予備契約を締結。そして9月23日、今季の第3戦となったベンガルズ戦で彼は夢にまで見たNFLデビューを果たした。

 人身売買のターゲットにされてから16年。ロンドンに放り出された元ホームレスが人生を立て直した瞬間だった。

 今度は“スポーツの神様”が味方する。ディフェンス・エンド(DE)として出場したオバーダは、相手のクオーターバック(QB)、アンディー・ドールトン(30)をタックル(サック)し、インターセプトまで記録してしまった。チームは31―21で勝利。NFLデビューを果たしたオバーダはなんと第3週の「NFC最優秀守備選手」に選ばれ、試合後はロン・リベラ監督(56)にウイニングボールをプレゼントされたのだ。

 「どう表現していいのか言葉が見つからない。子どものころは何もわからず、何も言えなかった。でも今、助けてくれたすべての人、そして出会えた妻の愛情と忍耐と我慢に感謝したい。NFLの中では私のようなケースは一般的ではないと思う。でも世の中には私が経験したような悲惨な生活と直面している若者がまだたくさんいると思う。だから彼らに私を見てほしい。何かを感じてもらえれば幸いだ」。

 今年4月13日で26歳になったNFLのオールド・ルーキー。「優勝を争ってみたい。そして選手としても人間としてもまだ成長していきたい」と語ったオバーダの目は輝いていた。

 人生がうまくいかない理由を周囲の環境にせいにするのは実に簡単だ。しかしそれでは何も変わらない。もしNFLパンサーズの背番号94を見つめる機会があったら、彼が少年時代から捨てずに守り続けた“自分自身”を心の目で見てほしい。人間は社会の最深部からでもはい上がってくることができるのだ。努力と執念が生み出したオバーダのサクセス・ストーリー。新たな何かが起こりそうな“続編”にも期待したいところだ。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。今年の東京マラソンは4時間39分で完走。

続きを表示

この記事のフォト

2018年10月7日のニュース