大野将平「想定内」だった敗戦 リオ金から東京五輪へ「気持ちのスタミナ」戻るまで

[ 2018年4月13日 10:15 ]

柔道体重別選手権男子73キロ級準決勝、海老沼(左)に敗れた大野
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 柔道の世界選手権(9月、アゼルバイジャン・バクー)の代表最終選考会を兼ねた全国選抜体重別選手権が、今年も福岡国際センターで7、8日の2日間に渡って開催された。大会の前日会見で男子日本代表の井上康生監督が「みなさんが一番期待している階級ではないかなと思います」と注目階級に挙げたのが、男子73キロ級だった。リオデジャネイロ五輪王者の大野将平(26=旭化成)と、同い年で昨年の世界選手権を制した橋本壮市(パーク24)。両雄の直接対決が期待された決勝はしかし、大野が準決勝で敗れたことで実現することはなかった。

 大野は66キロ級で五輪2大会連続で銅メダルを獲得し、階級を上げて1年に満たない海老沼匡(パーク24)に敗れた。試合は終始海老沼ペースで進み、内股2つで合わせ技一本を取られた。1回戦も含めて結果、内容ともに、決して満足いくものではなかっただろう。それでも敗戦後のミックスゾーンでは男子でも目を赤くする選手が多い中、「もちろん悔しいが楽になった」「(中高の先輩である)海老沼先輩に土を付けていただき、逆に気が引き締まる」「(敗退は)想定内」などと清々しい表情で語った。

 リオ五輪で柔道の神髄を誇示するような戦いぶりで金メダルを獲得後、大野は東京五輪の代表選考レースの最前線から距離を置いた。昨年は無差別で争われる4月の全日本選手権に念願の出場を果たし、その後は天理大大学院の修士学生として勉学中心の日々を過ごした。修士論文の研究テーマは大外刈り。本格的な競技生活から離れたのは、もちろん、この2つをやり遂げること自体に目的があったと思う。一方で大会3週間前に天理大で応じたメディア各社の合同インタビューでは、こうも語っていた。「もし(リオデジャネイロ)五輪を終えてずっと大会に出ていたら、気持ちの部分でスタミナ切れをしていたのかなと思います」。

 スピードスケートの高木美帆は、シーズン最終戦を終えて成田空港に帰国した際に「次へ向かって頑張っていくための気持ちの回復を優先したいなと思っている」と語った。まだ23歳。年齢だけを見れば、22年の北京五輪も、その次の26年冬季五輪出場も可能だろう。だが平昌で3色のメダルを獲得したヒロインは、おいそれと3度目の五輪出場を明言しなかった。4年後へのモチベーションよりも、再び頂点に至るまでの道のりを思えばこそ、軽はずみに目指すとすら言えない。大野の言葉を借りれば、高木美帆の「気持ちのスタミナ」は北京五輪まで完走できないほどに減っているということなのだろう。

 振り返れば15年のラグビーW杯を終えた後のリーチ・マイケルもそうだった。W杯を終えた後、満足に休めないままトップリーグでプレーし、心も体も疲弊していた。翌16年は代表招集を固辞。チームとの契約によって選手生活が成り立つプロ選手としては致し方ないことだったかも知れないが、その疲弊具合は尋常ではなかった。後にW杯後のことを振り返り、「バーンアウト(燃え尽き)していた」と語っている。

 大野の選択が正しかったどうかは、ある意味では東京五輪の結果次第とも言える。金メダルを逃したら、あるいは五輪代表にもなれなかったら、もしかしたら誤りだったと結論づけられてしまうかも知れない。ただ、金メダリストがリスクを負って下した選択は、称えられるべきだとも思う。「休み方改革」などという言葉が叫ばれる日本。トップアスリートが先鞭をつけてくれたら、世の中に与える影響も大きいはずだ。(阿部 令)

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2018年4月13日のニュース