里谷多英 5位小野塚に「納得するまで挑戦を」 モーグル転向勧めた過去も…

[ 2018年2月21日 11:00 ]

平昌冬季五輪 フリースタイルスキー女子ハーフパイプ決勝 ( 2018年2月20日 )

競技を終え、泣きながら関係者らと抱き合う小野塚彩那
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 【メダリストは見た】彩那、お疲れさま。5位という結果でしたが“やり切った”と言ってました。五輪ではそれが一番大切なんです。

 私の場合、1998年の長野五輪で金メダルを獲った後、W杯で自分がどの位置にいるのか理解できてました。正直言えば、もう一度メダルを獲るのは難しいと感じていた。ただ、2002年のソルトレークシティー大会が近づくにつれ、メダルのことは気にならなくなりました。いくら周りが成長していても、結局は自分なりにやるしかない。私はたまたまメダル(銅)を獲れましたが、滑り終えて自分自身が「やり切った」と思えることが一番大切なことです。

 「(昨年)12月に脳振とうを起こしたトリックで恐怖心が出た」とも言ってましたが、その気持ちは凄く分かります。ハーフパイプとモーグルの違いはありますが、雪面は硬く、まるでコンクリートのよう。転倒で恐怖心が芽生えると、完全に振り払うのは簡単ではありません。

 私は05年ごろからエアに縦回転を取り入れました。オフにはトランポリンで練習を重ねてシーズンを迎えましたが、フロントフリップに失敗して顔から落下。そのことで恐怖心が芽生えました。翌年のトリノ五輪の前にも派手な転び方をしてしまった。恐怖心を乗り越えようと努力しましたが、エアについては転倒前の方が高かったように思います。

 彩那との出会いは2006、7年ごろ。同じスキーメーカーにお世話になっていた縁で、メーカーさん主催のキャンプにゲスト参加しました。彼女は当時、まだアルペンスキーの選手。バックカントリーを一緒に滑ったんですが、物凄く上手でびっくりしたのを覚えています。スピード、技術があって、どんなコースにも対応できる。「スキーがうまい」とは、彩那のような人のことを言うのだなと思いました。だからその時、「モーグルやりなよ。メダル獲れるよ!」と勧めたんです。でも首を縦に振りませんでした。今でもモーグルをやってほしかったと思っています。

 ハーフパイプ全体を見渡すと、技術進化の速さに驚きました。五輪で初採用された4年前のソチ五輪に比べると、別の競技に思えるほどでした。近年は男子のモーグルも凄いスピードで進化していますが、ハーフパイプはそれ以上。そんな中で大人になってから転向した彩那が活躍できることは、凄いことです。夏の競技で言えば体操も同じだと思いますが、なかなか大人になってから始めるのが難しい。小さなころから飛ぶことで、体にも染み付くし、高さにも慣れる。メダルには届きませんでしたが、今回の5位入賞は努力の結果だと思います。

 結果を出せないと、競技を続けたくても続けられない状況が来ることがありますが、メダリストには、自分の進退を自分で決める権利があると思うんです。彩那は29歳。本人が納得するところまで挑戦してもらいたいですし、私も応援し続けたいと思います。

 ◆里谷 多英(さとや・たえ)1976年(昭51)6月12日生まれ、北海道札幌市出身の41歳。5歳でスキーを始め、小5でモーグルに転向。94年リレハンメル五輪に17歳で出場して11位。98年長野五輪金、02年ソルトレークシティー五輪銅。10年バンクーバー五輪まで5大会連続で出場し、13年1月引退。1メートル66。フジテレビ勤務。

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