葛西、無念のメダルなし 9度目五輪挑戦を明言「絶対に出る」

[ 2018年2月20日 05:30 ]

平昌冬季五輪 ノルディックスキー・ジャンプ男子団体 ( 2018年2月19日 )

決勝2本目を飛び終えた小林陵(右)を迎える葛西
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 ノルディックスキー・ジャンプ男子は19日、団体戦(ヒルサイズ=HS142メートル)を行い、葛西紀明(45=土屋ホーム)、伊東大貴(32=雪印メグミルク)、竹内択(30=北野建設)、小林陵侑(21=土屋ホーム)で挑んだ日本は940・5点で6位となった。ジャンプ男子は全種目を終了し、2大会ぶりのメダルなしに終わった。史上最多8度目の冬季五輪出場を果たした葛西は、49歳で迎える22年北京五輪で悲願の金メダルを目指すことを宣言した。

 レジェンドにとって厳しい冬が終わった。2回目、2番手の伊東が終えた時点で日本は6位。14年ソチ大会でアンカーを任された葛西は今回3番手を務め、一つでも上の順位を狙ったが、K点の125メートルまでしか飛べなかった。21歳のアンカー小林陵は130メートルの飛躍も、順位はそのまま。銅メダルを獲得した14年ソチ五輪団体戦に続く歓喜は訪れなかった。

 初出場した1992年アルベールビル五輪から26年。史上最多8度目の出場を果たした葛西は個人、団体と3度のトライも表彰台には届かなかった。「今回は家族に五輪を見せられて良かった。次は家族の前でメダルを獲りたい」と試合後、すぐに前を向いた。次の北京五輪について聞かれると「目指すというか、もう絶対に出ます」。この悔しさをバネに、まだ見ぬ金メダルの夢を追い、9度目の五輪挑戦を宣言した。

 葛西にとって最も大切なのは家族だ。長野五輪前年の97年に母・幸子さんが放火に巻き込まれて他界。14年ソチ五輪後、16年1月には血液の難病と闘ってきた妹・久美子さんを亡くした。だが、今回の五輪では2人の思い出の品を持参することはしなかった。戦う男に徹するためだった。

 厳しい冬は終わり、やがて春は来る。22年北京五輪。その時は49歳だ。以前、W杯で最多53勝を誇るシュリーレンツァウアー(オーストリア)から「いつまで飛ぶんだ? 北京か?」と声を掛けられ「もちろん札幌」と、26年冬季五輪招致を目指す地元を挙げて応じたこともある。ジャンプへの情熱は尽きない。レジェンドという不死鳥は五輪の空へ羽ばたくため、再び翼を広げる。

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2018年2月20日のニュース