自身も五輪前に故障、同じぜんそく持ち…清水宏保氏 羽生のケガにはきっと意味があったはず

[ 2018年2月18日 11:00 ]

平昌冬季五輪 フィギュアスケート男子フリー ( 2018年2月17日    江陵アイスアリーナ )

表彰式に立ち、天に指をさし笑顔の羽生
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 【メダリストは見た】 長野五輪スピードスケート500メートル金・清水宏保氏

 羽生選手、おめでとう。本当に興奮したし、感動しました。五輪2連覇は実力だけで、できるものではない。みんなの期待を背負って勝ってしまう羽生選手は、絶対王者と呼ぶにふさわしい。本当に心の強い選手だと思いました。

 団体戦回避の報道を目にした時、五輪のシングル一発に懸ける強い思いが私には伝わってきました。ケガした右足首に本番までできうる限り負担をかけたくなかったのだと思います。

 私にも同じような経験があります。連覇が懸かった02年ソルトレークシティー五輪。そのシーズンの10月に腰を痛めて、1カ月半まったく滑れませんでした。痛みは引かず、滑るとさらに痛みが増す。毎朝痛くなっていないか、祈るような気持ちで目を覚ましました。五輪前はレース勘や氷の感覚を失いたくないので、試合に出場はしましたが、全力では滑りませんでした。全力で滑ったらどうなるか分からなかったからです。目の前に霧がかかったような気持ちで、闘争心は消えていきそうでした。

 本番1カ月前になって、もうこれは治らないと開き直りました。治る希望を持つと、かえってストレスがたまる。爆弾を抱えたまま、はい上がっていく挑戦も悪くない、と思うようにしました。ケガに対して「先生、治してください」という受け身から、「どうしたら痛みをコントロールできるか」と攻めの姿勢に転じました。

 最終手段として選んだのが痛み止めの弛緩(しかん)ブロック注射。後遺症のリスクがありましたが、怖がってはいられませんでした。五輪本番から逆算して、2週間前のレースで一度テストしました。そこで手応えを得て本番でも痛み止めを打って滑りきりました。結果は100分の3及ばず2位で、五輪2連覇はできませんでした。ただ負けた悔しさよりも、やりきった充実感が大きかった。

 私と羽生選手には共通点もあります。ぜんそくです。昔、仙台のイベントで、当時小学生だった羽生選手に会ったことを今でも覚えています。彼から「自分はぜんそくだけど、どうしたら金メダリストになれますか」と質問されました。私は「大丈夫。肺が弱い分、ハードな練習して乗り越えれば世界で戦えるよ」と答えました。

 ぜんそくを持っている子は練習すると苦しくなります。日常生活でも発作が起きれば、立っていることさえできなくなる。羽生選手はトップアスリートになる前から苦しいことには慣れていたと思います。ずっとハンデを背負って戦ってきました。ぜんそくが羽生選手を強くしてきた。だから今回、困難に挑むのは彼にとっては自然なこと。きっと燃えるものがあったと思います。

 私は今、スポーツジムのほかに高齢者の介護事業にも取り組んでいます。現役時代にリハビリで体と向き合う時間が長かった分、体の機能や動きに興味があった。ケガの経験がセカンドキャリアにつながっています。ケガには意味があった、と思っています。羽生選手もきっとこの気持ちを分かってくれるでしょう。

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