“神戸っ子”坂本花織 地域の心の復興へ「五輪でいい成績残したい」

[ 2018年1月17日 05:45 ]

平昌五輪フィギュアスケート女子代表の坂本花織
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 1995年の阪神・淡路大震災から23回目の“1・17”を迎えた。平昌五輪フィギュアスケート女子代表の坂本花織(17=シスメックス)は、震災を知らない世代ながら、“神戸っ子”として家庭や学校で常に思いを寄せてきた。地域の心の復興にささやかな貢献をすべく、初出場の舞台での活躍を誓った。

 阪神・淡路大震災を知らない子どもたちに、震災の記憶は受け継がれている。平昌五輪女子フィギュアスケート代表の坂本は、神戸生まれ神戸育ちの役割を口にした。

 「神戸市民である限りは力になるようにしないと。五輪でいい成績を残して、ちょっとでも、神戸を(盛り)上げていけるようにしたいです」

 2000年生まれの17歳は、23年前の95年1月17日に発生した大災害を体験していない。両親と姉2人は当時神戸市北区に住み、大きな被害を受けなかった。

 それでも、家庭の教育で1月17日に毎年、哀悼の意を示してきた。地震発生の午前5時46分に黙とうし、追悼の場の神戸市東遊園地を欠かさずに訪問している。震災後に整備された地域にある神戸市中央区のなぎさ小、渚中に通い、「1・17の授業が必ずあった」と、震災教育を受けた影響も大きい。経験をしていなくても、震災は身近な出来事なのだ。

 だから、バンクーバー五輪銅の高橋大輔さんが11年から神戸市で開催した東日本大震災チャリティーイベントにも意義を感じて出演した。「ちょっとでも、元気づけられればと思って滑りました」。阪神・淡路大震災直後、坂本の“先輩”である神戸近郊のスケート選手は、仙台市に身を寄せて練習をしたことがあった。兵庫県連盟からすれば、チャリティー協力に当時の恩返しの意味があった。

 復興後を生きる世代でも、被害に胸を痛め、助け合いを行動に移すことはできる。気持ちはいつも「ちょっとでも」。坂本は等身大で震災と向き合っている。

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2018年1月17日のニュース