5歳で決断した人生の選択 女子バスケ界のスーパースターが歩むもうひとつの道

[ 2017年10月12日 09:30 ]

 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】英語ではEmbalmer。日本語では遺体整復師と訳されている。映画「おくりびと」では日本の納棺師が主人公だが、火葬よりも土葬が主流の米国ではより長期にわたって遺体を保存しなくてはいけないので、処理に必要な薬品などの幅広い知識が求められる。もちろん故人を“笑顔”にさせるのも技術のひとつ。トータルな葬儀コーディネーターといった方がいいかもしれない。それが米国の遺体整復師だ。

 シルビア・ファウルスは5歳でエンバーマーを志した。きっかけは祖母の葬儀。家族に言われて棺に入った遺体に別れのキスをしたのだが、埋葬に向かう途中で唇に痛みが走った。防腐剤にアレルギー反応を示したためで、その時彼女はこう思ったのだと言う。「自分が痛いなら、おばあちゃんもそうかもしれない…」。子どもにしか分からない愛する人への思い。それ以来“原因究明”が人生の課題となった。

 31歳となったファウルスは今、米女子プロバスケットボール・リーグ(WNBA)に所属するミネソタ・リンクスの主力センター。1メートル98のサイズを生かして活躍し、2年ぶり4回目のリーグ制覇を達成した今季は、レギュラーシーズンでもファイナルでもMVPとなった。その一方でエンバーマーになるための専門学校でオンライン授業を継続。あと1年半で学位を取得できるところまでこぎつけた。

 「多くの人はけげんな目で見るけれど、自分にとってはリラックスできる時間。幸せな気分になるし、スポーツのことを考えなくてすむの。とても大切な瞬間です」。

 今季18・9得点、10・4リバウンド、1・9ブロックショットをマーク。プロバスケの選手としては申し分のない成績だが、常にそのハイレベルな数字を求められるファウルスにとって“おくりびと”になるための勉強は心のやすらぎにもなっているのだろう。

 プロスポーツ界のスター選手によく見られるエゴが彼女にはない。「大人になるにつれて、自分だけでなく他人のことも考えるようになった」。やがて多くの人を見送る立場になるのだろうが、祖母とともに経験した?26年前の痛みが大切な心をきちんと整えているように見える。

 米国は揺れ動いている。銃の乱射事件は後を絶たず、国歌吹奏の際に膝をつくNFLの選手に対して国のリーダーは「そんなクソッたれはクビにしろ」と声を荒げた。憎悪は新たな憎悪を呼び、他人を思いやる心を論じるムードではない。

 私事ながら先日、伯父の葬儀に参列した。ガンとの闘病で苦しんだそうだ。しかし棺に納められたときには口元が緩み、かすかに笑みを浮かべていた。決して表には出てこないが、納棺師の方の仕事ぶりは見事だった。その微笑は私自身が忘れていた何かを思い起こさせてくれたような気もした。

 WNBAのスター選手が歩もうとしている第二の人生。地味で目立たない世界かもしれないが、ぎくしゃくした社会の中でファウルスはコート上と同じように輝くことだろう。「自分が痛いなら相手も痛いはず」。遠い昔に5歳の少女が抱いたその思いこそ、ゆがんだ社会を“整復”する土台なのではないだろうか?(専門委員)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市小倉北区出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。スーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会に6年連続で出場。

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