車いすテニスのジュニア選手に“世界”への道を!

[ 2017年10月10日 11:43 ]

車いすテニスのジュニア大会を立ち上げた星野氏(左)と坂口選手
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 「車いすテニス・グローバルチャレンジ(仮称)」という大会発足の準備が進められている。10月21日に茨城・龍ケ崎市で予選会を開き、上位入賞者を来年1月、米国ロサンゼルスに招待。キャンプで技術を磨き、ジュニアのトップ選手が集う北米選抜と対戦するというイベントだ。

 企画したのは日本車いすスポーツ協会とNPO法人BAF(B―Adaptive Foundation)。BAFの星野太志代表(39)はイベントを立ち上げた理由をこう説明する。

 「日本では活動の機会が限られる障害児が、障害者スポーツ先進国の米国で同年代のライバルたちと交流を持つことで、モチベーションを高めることができる」。

 今年7月、BAFは「JTB車いす・サマーチャレンジ」を開催。千葉・浦安市の中学2年生で、全日本ジュニア・ランキング1位の坂口竜太郎君(12)を招待した。そして米国に派遣。ロサンゼルスでトップコーチの指導を受け、サンディエゴではシニアの選手が出る第18回「ヘンドリクソン・ホイールチェア・クラシック」に参戦した。坂口君は準決勝で惜敗。しかし体格、経験に勝る相手と互角に渡り合った。

 「米国の選手はパワフルでフレンドリーで楽しい人がいっぱい」と坂口君。現地の関係者もその才能を認め「トレーニングと経験を積めばパラリンピックにも出られる」と激励した。「グローバルチャレンジ」はその第2弾。星野氏はプロジェクトを長期的な視野でとらえ、時間をかけて発展させていく考えだ。

 IOCは2024年のパリ五輪、28年のロサンゼルス五輪の開催を発表。「今、日本では2020年の東京五輪とパラリンピックに向けて盛り上がってますが、一過性の現象であってはならない。坂口君らの世代はロサンゼルス五輪の頃が20代半ばで、選手としてのピーク。彼らの成長をサポートしながら、日本の障害者を取り巻く環境も変えていきたい」と意気込んでいる。

 米西海岸は車いすテニス発祥の地。競技は80年代に欧州や日本でも広まり、92年のパラリンピック(バルセロナ)で正式種目となった。

 星野氏はその西海岸を拠点に大リーグ・マリナーズの岩隈久志投手(36)などプロのトップ・アスリートの活動を支える仕事に従事している。障害者スポーツに関わるのは今年からだがきっかけは13年前。オレゴン大でスポーツビジネスを学んだあとサンディエゴのアイスホッケー・チームでインターンをしていたが、サンディエゴ州立大でスポーツ心理学を学ぶ雪下岳彦氏に出会い知己を得た。

 雪下氏は頚椎損傷で手足が不自由になりながら日本で医師免許を取得。さらに米国留学で、障害者が健常者同様に高度な教育を受けて医療現場で働く姿を見ていた。帰国後は順天堂大学で博士号を取得し、現在はスポーツ庁の健康スポーツ課で障害者スポーツの推進活動に従事。星野氏は雪下氏から坂口竜太郎君の父で、日本で車いすスポーツの裾野を広げる活動をしていた剛さんを紹介された。2人がタッグを組み、日米を股にかけたプロジェクトが始まったのである。

 選手の募集要項で目を引くのは「保護者同伴なし」の項目。「米国では車いす利用者が健常者と同じように自立して生活し、スポーツを楽しんでいる。米国に一人で来るということは大きな自信につながると思う」。

 文科省の報告では日本の車いす生活者の70%がスポーツに参加していない。事態を改善するにはまずは自立を心がけることなのである。そしてそのためのイベントがまもなく生まれようとしている。(奥田秀樹通信員)

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