9秒台スプリンター桐生祥秀 歩けなくても走った中学時代の伝説

[ 2017年9月12日 17:50 ]

9秒98を記録し、会見で笑顔をみせる桐生
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 歩けないのに、走る。日本初の9秒台スプリンターとなった桐生祥秀(21=東洋大)は7年前、滋賀・彦根南中3年時に1つの伝説を作っていた。それも、痛々しい姿で。

 10年8月、中学生が憧れる舞台、全日本中学校大会。アクシデントは大会2日目に発生した。男子200メートル決勝で2位に入った桐生は、その後に行われた400メートルリレーの準決勝で同中のアンカーを務めた。バトンをもらって数歩、左脚が悲鳴を上げると同時に、桐生も心の中で叫んでいた。「痛え〜!」。左大腿裏の肉離れ。何とか決勝に駒を進めたものの、仲間の肩を借りなければ歩けない状態だった。

 翌日、準決勝に残っていた100メートルは棄権に追い込まれたが、大会最終種目の400メートルリレー決勝の舞台には立った。走るどころか、歩くことも依然、厳しいままだった。ウオーミングアップも一切できなかった。なぜ、強行出場したのか。「リレーメンバーの4人で賞状が欲しかった。棄権するともらえないんで」というのが理由だった。

 患部を包帯でグルグル巻きにしたアンカー・桐生はバトンをもらうと、ぎくしゃくした動きでゴールに到達した。「何秒でゴールしたとか覚えていないけど、映像には最後の方にフワ〜っと映っていた」。決勝進出8チーム中、最下位の8位。7位の長大付中(長崎)からも2秒近く遅れたが、悔いはなかった。

 優勝した浦添中(沖縄)のアンカー・与那原良貴は東洋大でチームメートとなり、今季は短距離ブロックの主将を務めた。「同じチームでやることになるなんて、中学の時は思ってもいなかったなあ」と桐生。9秒98をマークした9日の日本学生対校。大記録を達成してから2時間半後、400メートルリレーに出場した。

桐生には「差せなくて悔しい」、「仲間と表彰台に上がれて嬉しい」と2つの感情が交錯した。自分のためにベストを尽くし、仲間のためにもベストを尽くす。日本陸上界に輝く1ページを刻んだ桐生の本質は、7年前のあの日から変わっていない。

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2017年9月12日のニュース