稀勢見た〜い3000人!富岡八幡宮で横綱力士碑刻名報告祭

[ 2017年6月10日 05:30 ]

土俵入りする稀勢の里(中央)、太刀持ち・松鳳山(左)、露払い・輝(右)
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 大相撲の第72代横綱・稀勢の里(30=田子ノ浦部屋)が9日、東京都江東区の富岡八幡宮で行われた横綱力士碑刻名報告祭に出席し、自らの名を石碑に刻んだ。約3000人の見物客が集まる中、雲龍型の横綱土俵入りも披露した。左上腕付近の負傷で夏場所を途中休場した和製横綱は「相撲の充実」を目標に掲げ、名古屋場所(7月9日初日、愛知県体育館)での復活を目指していく。

 江戸勧進相撲のゆかりの地・富岡八幡宮に約3000人もの見物客が集結した。「横綱力士碑」への刻名を終えた稀勢の里は、太刀持ち・松鳳山、露払い・輝を従え、新横綱だった春場所で使用した鶴と赤富士の描かれた化粧まわしをつけて参道の石畳に登場。「日本一〜」の声援を背に、力強い雲龍型土俵入りを披露した。

 初場所後の横綱昇進から約4カ月半。これで昇進後の一連の行事は一区切りとなった。「素晴らしい石碑(横綱力士碑)に名前が載るのは本当に光栄。普段の態度もそうだし、見本になる力士になっていきたい。一番は相撲の充実。しっかりできるように努力したい」と改めて横綱の責任感を口にした。

 1900年に最初の横綱力士碑が完成してから、歴代の横綱の名前が刻まれてきた。一時行われていなかった刻名式が復活したのは第66代横綱・若乃花の時(98年9月30日)からだが、人気力士だった若乃花の土俵入りですら見物客は約700人だった。最近では第70代横綱・日馬富士の時が約600人、デング熱の感染予防のため土俵入りが行われなかった第71代横綱・鶴竜の時は約300人。それらを大きく上回る見物客を集め、稀勢の里フィーバーはとどまるところを知らない。

 名古屋場所での復活に向けて、現在は地道な筋力トレーニングを続けている。「一人一人が自覚を持てば相撲界が盛り上がる」と考えている稀勢の里は「そのためにも、今はしっかり15日間戦える体をつくっていきたい」と話した。偉大な先人とともに石碑に名が刻まれた横綱は、再び輝きを取り戻すために精進を続けていく。

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2017年6月10日のニュース