高安 父のがん、先代師匠の死で向上心に火 “金言”実践し躍進

[ 2017年5月31日 08:10 ]

稀勢に続け 叩き上げ大関高安(下)

大関昇進を翌日に控え、取材に応じる高安
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 部屋から脱走することがなくなった高安だが「最初の1、2年は土俵に気持ちがなかった」と振り返る。三段目に上がるのには丸2年を要した。時を同じくして父・栄二さんが腎臓がんになった。腎臓の摘出手術を受けることになり、経営していたエスニックレストランは閉店を余儀なくされた。

 「父が望んでいることは相撲で大成すること。うかうかしていられないと思った」。本気で稽古に打ち込むと、恵まれた体格を生かした迫力のある相撲で順調に番付を上げた。10年九州場所の新十両、11年名古屋場所の新入幕も平成生まれで一番乗りだった。

 高安を育てた先代師匠、元横綱・隆の里の鳴戸親方は、11年九州場所直前に亡くなった。「この人に褒めてもらうために頑張っていた。何のために相撲を取るのかと思った」。だが師匠の教えを忠実に守ることで、力がついていった。「老子」の言葉の「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」は亡き師匠から何度も言われた。「悪事をすれば必ず天罰が下る」という意味だが、高安は「稽古をサボれば必ず悪い結果になる。だから努力を怠ってはならない」と解釈。猛稽古を重ね、13年秋場所で平成生まれ初の新三役になった。

 大関を意識し始めたのは、三役で初めて勝ち越した昨年名古屋場所から。2場所後の九州場所は初の大関獲りだったが7勝8敗と負け越し。ここからさらに意識が変わっていった。「悔いを残したくない気持ちが芽生えた」。続く今年初場所では稀勢の里が初優勝。横綱に昇進した。稽古場の土俵だけでなく「私生活でもお世話になった。兄貴のような存在」の晴れ姿を見て「自分も優勝したい」と思うようになった。

 春場所からは体幹を鍛えるために、アクアバッグと呼ばれるビニールのバッグの中に4分の1程度の水を入れて使う器具を使ったトレーニングを始めた。「細かいことでもコツコツやっていく」。それは地道な稽古を重ねて横綱になった稀勢の里の姿を見ていたからできたこと。「稀勢関には感謝しかない」と改めて兄弟子に敬意を表した。家族、師匠、兄弟子。さまざまな人に支えられてきた高安が、ついに大関昇進の晴れ舞台を迎える。=終わり=

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2017年5月31日のニュース