栃木が初代王者に 田臥、Bリーグのさらなる発展確信

[ 2017年5月28日 05:30 ]

Bリーグ チャンピオンシップファイナル   栃木85―79川崎 ( 2017年5月27日    国立代々木競技場 )

<川崎・栃木>Bリーグ初代王者に輝き歓喜を爆発させる田臥(中央)ら栃木の選手たち
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 一発勝負のファイナルで、栃木(東地区1位)が川崎(中地区1位)を85―79で下し、初代王者となった。栃木の司令塔、田臥勇太(36)は主将としてチームをまとめて、個人でも9得点、5アシストをマークして優勝に貢献。日本人で初めてNBA選手となったレジェンドが、日本のバスケット史に再び名を刻んだ。

 いつもはクールで冷静な主将が大はしゃぎした。終了のブザーと同時にベンチに駆け出し、仲間一人一人と熱い抱擁を交わした。セレモニーではティファニー製の優勝トロフィーを笑顔で掲げた。初代王者となったチームの中心には日本バスケット界の顔、田臥がいた。

 「注目される中でプレーしている実感が全員にあって、今まで以上のプロ意識や自覚を持って戦ってきた。チーム全員で戦って、優勝という結果になってうれしい」

 昨季のNBL王者、川崎と一進一退の攻防が続く中、田臥は落ち着いてゲームをコントロールした。序盤には自ら速攻でレイアップに持ち込み、チームを勢いづかせた。チーム内にミスが相次いだ第3Qは冷静にジャンプシュートを2本沈めて得点をつないだ。82―79で迎えた第4Q残り1分を切った場面では自らドライブで切り込んで、ゴール下のギブスへ勝負を決定づける好パスを送った。

 チャンピオンシップ開幕前、「No・1ポイントガード」の条件を聞かれて、田臥は「チームを勝たせるのがポイントガード」と答えた。現在、国内には田臥より得点を取るポイントガードは何人もいる。04年にサンズで日本人で初めてNBAのコートにも立ったレジェンドは、優勝という結果で改めて国内No・1の司令塔であることを結果で示した。

 この日は満員の1万144人の観客が集まった。会場の8割はNBL時代から地元密着を掲げて人気のある栃木ファンで埋められた。「これだけのお客さんの前でプレーできて、こんなうれしいことはない。競争が激しくなって、成長するチャンスがある。可能性を秘めたリーグだと改めて感じました」。日本バスケットの歴史を切り開いてきた男は、Bリーグのさらなる発展を確信していた。

 ◆Bリーグ 企業チームとプロチーム混成のNBLと、プロチームのbjリーグの2つの国内リーグが統合され、全チームがプロ化して発足した完全プロリーグ。16年9月22日に開幕。最上位のB1は18チーム(3地区で各6チーム)で構成。レギュラーシーズン60試合を戦い、上位8チーム(各地区上位2チーム+ワイルドカード2チーム)がプレーオフのチャンピオンシップを争う。賞金は優勝5000万円、準優勝2000万円。

 ◆栃木ブレックス 2006年創立。日本選手で初めて米プロリーグのNBAでプレーした田臥勇太らを中心に、08〜09年シーズンからプロとして日本リーグに参戦し、加入2季目に初制覇を果たした。ブレックスは「BREAK THROUGH(現状打破)」などの言葉を用いた造語。宇都宮市をホームタウンとし、本拠地は宇都宮市体育館。

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