21年の競技生活に別れ 真央「長い間、凄いね、続けてきたね」

[ 2017年4月13日 05:30 ]

最後のあいさつで泣き笑う浅田真央
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 笑って、泣いて、また笑って、競技生活に別れを告げた。フィギュアスケートの元世界女王・浅田真央(26)が12日、都内で引退会見を行った。自身のスケート人生を振り返り、代名詞の大技・トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)への思いや、今後の展望まで54分51秒にわたって語り尽くした。最後のあいさつで涙ぐむシーンもあったが、笑顔で会見場を後に。これから始まる第二の人生も、浅田はアクセル全開で駆け抜ける。

 初めてスケート靴を履いた時、今の光景は想像できなかっただろう。5歳の少女が2つ年上の姉・舞とリンクに立ったのは21年前。「ヘルメットをかぶってスキーウエアを着て、肘当て、膝当てをしているのが写真に残っているので」。国民的人気スケーターになった浅田は水を口に含み、2度深呼吸をして会見場に入った。「私の人生」という競技生活を締めくくるために。

 「長い選手生活だったんですけど、たくさん山がありました。たくさんの山を乗り越えられたのも支えてくださった方やたくさんのファンの方々の応援があったからだと思っています」

 浅田は自らをこう分析する。「なんでも凄くハマるけど、すぐに飽きちゃう性格」。そんな自分が氷上で戦ってきた。21年も。なぜ、ここまで頑張れたのか。氷の上を滑り、跳び、回る。その全てが、最高の時間だったから。「小さい時に技ができるようになったときは本当に楽しい気持ちで、じゃあ次は2回転を跳びたい、3回転を跳びたい、そういう思いが本当に楽しかった」。そして勝負のリンクを去る今、自分に優しい言葉を掛けた。

 「“長い間、凄いね、続けてきたね”と言いたい」

 トリプルアクセルを武器にした伊藤みどりさんに憧れ、その大技を自身の代名詞にした。小学6年時、長野・野辺山で行われた日本連盟の新人発掘合宿で、浅田は絶対に跳ぶと誓っていた。「自分が決めたことに関しては頑固です」。そして、鮮やかに着氷した。当時の記憶は今も鮮明だ。

 「跳べた時は本当にうれしかった。目標を達成すると、こんなにうれしいんだな、また頑張りたいなと思えた時でした」

 全ての試合で、トリプルアクセルの成否が成績に直結した。「自分の強さでもあったけど、その半面、悩まされることも多かった」。浅田がこだわり続けた大技は、ジャンプの一つという枠を超えた存在だった。トリプルアクセルに声を掛けるとしたら?そんな問いに困ったような笑みを浮かべ、少し考えてから口を開いた。

 「なぜ、もっと簡単に跳ばせてくれないの?」

 昨年末の全日本選手権は、信念のノーミスとは程遠い内容で自己ワーストの12位。得点が出た瞬間に思った。「あ、もういいのかもしれない」。最終的に決断したのは2月。「平昌(ピョンチャン)五輪に出るという目標があって、自分が言ったことは最後までやり通してきたので、やらなきゃいけないんじゃないかという思いが強くて」。失敗したものの、全日本では今季初めて大技に挑んだ。全力を尽くした結果を受け入れ、心は固まった。

 「気持ちも、体も、気力も全部出し切ったので、何も悔いはないです」

 会見中、笑みを絶やさなかったが、最後のあいさつで「本当に晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました」と話し、言葉に詰まった。報道陣に背を向け、涙を拭う。「スケート人生で経験したことを忘れずにこれから新たな目標を見つけて笑顔で、前に進んでいきたいと思っています」。また後ろを向き、呼吸を整えた。涙は見せない。振り向くと、深々と頭を下げて会見を締めくくった。

 「みなさん、応援どうもありがとうございました」

 会見場に姿を見せてから、去るまで54分51秒。笑い、泣き、そして最後はまた笑っていた。みんなのヒロインは、みんなが愛したスマイルで新たなスタートを切った。

 ◆浅田 真央(あさだ・まお)1990年(平2)9月25日生まれ、愛知県名古屋市出身の26歳。5歳のときに姉の舞と一緒にスケートリンクに遊びに行き、スケートと出合う。2010年、バンクーバー五輪で女子シングル史上初めて3度のトリプルアクセルを成功させて銀メダルを獲得。14年ソチ五輪6位、世界選手権優勝3回(08、10、14年)。14年5月に休養を発表。翌年5月に現役続行を表明。公式戦ラストとなった昨年の全日本選手権は12位だった。1メートル63、47キロ。

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2017年4月13日のニュース