バレー日本代表・中田監督 独自の女子選手指導法「戦う熱い集団じゃないと」

[ 2017年4月11日 09:40 ]

東京五輪でのメダル獲得へ意欲を見せるバレーボール女子日本代表の中田久美監督
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 2020年東京五輪まで、11日で1200日となった。昨年10月に就任が決まったバレーボール女子日本代表の中田久美監督(51)は5月中旬の始動に向けて準備を進めている。現役時代3度五輪に出場した名セッターは、Vプレミアリーグ久光製薬監督として4年間で3度リーグ優勝に導くなど実績を積み、史上2人目の女性代表監督として再び日の丸を背負う。新指揮官が、昨夏のリオ五輪でメダルを逃した日本代表再建に懸ける思い、独自の女子選手指導法などを熱く語った。

 ――五輪開幕まであと1200日です。

 「もうそんなかぁ。非常に短い。ですけど言い訳にせず、今季は枠組み、土台をつくりたい」

 ――監督初仕事として候補選手27人を選んだ。

 「大型セッター(1メートル73以上4人を選出)にチャレンジしたい。1メートル75前後は世界的には特別大きいわけではない。まずブロックででこぼこをなくし、(高い打点から)速攻を中心としたテンポでトスを上げる」

 ――1メートル76の大型セッターとして活躍した自身の経験も大きく影響している?

 「日本が世界で戦うには、常に自チームのスパイカー3枚を使えるトスと、ミドル(センター)を中心に速いテンポで配球していく技術が必要になる。海外勢の高さとパワーに対抗するには、そこは最低限できることが望ましい」

 ――日本はミドルの攻撃が弱点になっている。

 「ミドルの使い方なのかな。サーブレシーブがセッターに返らないと、ミドルが使えず、サイドにトスを上げる。たまにAパス(注1)が入ると、セッター心理としてはミドルを使いたくなる。当然相手も読んでくる。(相手に的を絞らせないために)日本はいいパスをセッターに供給しないと、ミドルを生かすのは難しい。その場面をたくさんつくる(サーブレシーブを担う)アウトサイドの選手が必要かな」

 ――日本の戦い方の課題は?

 「リオ五輪の数字を見ると、サーブレシーブからの攻撃で日本はAパスが入った時の数字が悪い。BパスやCパスの時は世界の3〜5番手なのに、Aパスは下から2番目。これって一番上じゃないとおかしい。高さとパワーで対抗できないなら、確実に点数を取っていくことは最低条件。その上でBパス、Cパスの時にどうするか追求していく」

 ――精神的な部分は選手に何を求める?

 「やる気です。(選手の扱いは)みんな面倒くさい。でも、それは個性。個性があるから面白い。“ハイ、ハイ”と聞いてくれる選手もいいけど、多分24―24の場面で“ハイ、ハイ”と聞いていたら負ける。私自身とんがってます。負けるのが大嫌い。戦う熱い集団じゃないといけない。やらされて乗り越えられる仕事じゃない。やりたくないんだったら来てくれなくて結構」

 ――中田監督には「闘将」「スパルタ」のイメージがある。

 「私のスパルタって見たことあります?私怒鳴ったことってないですよ、あのテレビ1回しか(注2)。選手とも普通に接します。ただメリハリは大事。なぜ私たちは戦うのか、火をつける役目はあります」

 ――女性代表監督は82年デリー・アジア大会などを指揮した生沼スミエ氏以来史上2人目。

 「私の場合、アプローチの仕方が細かいのかな。人によって変えたり、空気によって変えたり、コンディションによって変えたり。よく男性監督が選手の髪形を見て“美容院行ったの?”とか声かけることが大事だと言われますけど、(女子選手は)そういうことを言ってもらいたいとは思ってないです。そこじゃない」

 ――女性指導者の強みとは?

 「例えば、選手の体調が優れないとかは見ていてすぐわかる。無言のSOSを送ってくる。そこを見逃さず、何が問題かをいち早く察知して、なんて言葉をかければ彼女が切り替わるのか、前向きになるかを考える。日々変わるので、凄く目が疲れる。同性だから見えちゃう。そこで見て見ぬふりをすることもあるし、その距離感は凄く難しい。ただ、女子はこの人のためにって思った時の力は半端ない。シャッター閉められるのも早いですけど。選手を常に見ていないといけない大変さはあります」

 ――引退から12年を経て、43歳で指導者の道へ。久光製薬では結果を残してきた。

 「10年前は指導者になるなんて全然思っていなかった。チームを任されるようになってからは試行錯誤の連続。今の選手は気質も全然違うし手探りのスタート。その中で、なぜ自分が指導者になろうと思ったのか、芯の部分だけはブレないようにしてきました」

 ――なぜ指導者に?

 「強いバレー界であってほしい。東京五輪での金メダルから始まって日本には歴史と伝統がある。実は五輪で初めてメダルが獲れなかったのはソウル五輪、自分がトスを上げていた。あの時のトラウマのようなものを引きずっているところもある。大変なことをしてしまったと。経験してきたことを次のバレー界に生かさないといけない。悔しい思いは今エネルギーになっています」

 ――今回、世代交代の難しいタイミングで、就任要請を引き受けた。

 「現役時代、バルセロナ五輪の壮行会で、ある方があいさつで当時の監督に“貧乏くじを引いて”と言ったんです。えっ、私たちは貧乏くじだったんだって、がく然としました。そのあいさつを聞いて、この監督に貧乏くじを引かせたと思わせないようにしないといけないと思いました。今も、世代交代で木村(沙織)選手が引退し、穴が大きいのはわかっています。でも誰かがやらないといけない。頑張ろうとする選手がいる限り、一緒に戦うのが指導者だと思っています」

 ――五輪の目標は?

 「みなさんの期待が大きいのはわかっています。メダル?頑張ります」

 ――最後に今、心に刻んでいる言葉を教えてください。

 「自分の力を信じる。自信です」

 ※注1 「Aパス」はレシーブしたボールがセッターの定位置にいくパス。セッターの攻撃の選択肢が増える。「Bパス」はセッターが数歩動いてトスを上げられるパス。「Cパス」はトスを大きく上げることしかできないパス

 ※注2 アテネ五輪出場を決め、テレビに生出演した代表選手のはしゃぎぶりに怒った中田監督(当時解説者)がVTR放送中に「てめえら、コノヤロー」と激怒。マイクがオフになっておらず、そのままオンエアされた。

 ◆中田 久美(なかだ・くみ)1965年(昭40)9月3日、東京都練馬区生まれの51歳。NHK学園高出身。80年に史上最年少15歳(中3)で日本代表入り。中学卒業後、日本リーグ・日立に入団。五輪には銅メダルを獲得した84年ロサンゼルス、88年ソウル、92年バルセロナの3大会出場。95年現役引退。08年イタリア・セリエAのビチェンツァなどでコーチを経験し、12年にVプレミアリーグの久光製薬監督に就任。4年間でリーグ3度、全日本選手権を4度制した。今年3月末で、同チームの総監督を退任した。

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