“泣き虫先生”の教育論 子どもとの距離の縮め方、極意は「分かってあげる」

[ 2017年1月12日 16:52 ]

対談を行った山口良治氏(右)と教師に転身する元ABCアナウンサーの清水次郎氏
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 泣き虫先生が、元ABC(朝日放送)アナウンサーから転身する新米教師に教育論を伝授する第2回は、生徒との距離の縮め方です。山口良治さん(73、伏見工・京都工学院ラグビー部総監督)が持ち続けた信念とは―。笑いあり、憤りありの教師人生。そこから浮き彫りになるメッセージを、清水次郎さん(45)が胸に刻みました。

 教師への夢を追ってアナウンサーから異例の転身をする清水さんとはいえ、心配がないわけではない。人の心に訴える仕事に携わってきたものの、果たして高校生の胸に響くメッセージを発することができるのか―。45歳の新米教師は泣き虫先生の言葉に耳を傾けた。

 清水「テレビやラジオを見聞きしてくれたお客様であり、取材対象だった高校生と接することになります。指導力がある教師になりたいですが、厳しく叱っていけるのか不安があります。中には道を踏み外す子もいるでしょう。どう接すればいいのでしょうか」

 山口「もし、この子がオレの兄弟だったら、息子だったらという気持ちを持つことが大事。大きい子、小さい子がいる。1人ずつ違うから、それぞれに語りかけてあげることが大事。教壇から一斉に言葉を発しても、全員が同じように聞いているわけではない。寝ている子どもがいれば、漫画を読んでいる子もいる。中には注意すると、“しばいてみい。しばいたら教育委員会に言うぞ”と言う生徒だっている」

 清水「“しばいてみい”と言われたらどうしたらいいでしょうか」

 山口「そんなもん、バコーン」

 清水「(笑)。今の時代はできないです」

 山口「やめる覚悟で」

 清水「せっかく教師になったので…」

 山口「ハハハ。それは冗談として、大事なのは生徒と友達になること。親と同じぐらいの気持ちになって、生徒を分かってあげることが大事だと思う」

 清水「先生は“この子の親だったら”という気持ちで接していたのですね。凄い労力です」

 山口「最初はそうだったけど、慣れてきたら特に問題がある子だけ心がけていた」

 清水「問題がある子というのは、SOSを発信しているものですか」

 山口「出していると思う。なぜこんなことを言うのだろうか―。思慮を巡らし、分かってあげようとしたら分かってあげられる。もしかしたら、家庭に問題を抱えているのかな、と想像することができる」

 清水「先生の言うとおり、なぜかな、と思えば怒りよりも、分かりたいという気持ちになりますね」

 山口「分かってあげられなくてゴメンと思えば、怒りはわいてこない」

 清水「深い愛ですね。分かってあげられなくてゴメンという言葉は」

 生徒との交流の方法は、教師によってさまざま。泣き虫先生は、文章でのつながりも大切にしていた。

 山口「僕は生徒に日記を書かせていた。生徒は3行ぐらい。いつも持ち歩きをして、授業がないときに返事を書いていた。僕の文章が長いから、すぐにいっぱいになった。赴任当初は面白いことがあった。ある生徒がこんなことを書いてきた。“山口先生はグラウンドにラグビーポールを立ててやると言ったのに、いっこうに立つ気配がない。いつになったら立つのか”。オレのポールはいつも立っている、と」

 清水「この話を聞いて肩の力が抜けました。先生はユーモアを持って生徒と接していたのですね。イメージが変わりました」

 山口「生徒からすれば鬼瓦みたいなイメージでしょう」

 清水「全員を見てあげないとだめですね」

 山口「一人一人の良さを見てあげてほしい。教師は子どもの人生にどう関わるかが大事」

 清水「凄く責任が重い仕事です」

 山口「そうあってほしいけどね」

 清水「いい意味で子どもたちの人生を変えてきた。凄いエネルギーだと思います」

 山口「力じゃない。力ずくじゃなく、自然とこちらを向くように考えた方がいい」

 清水「凄く情熱を注いでもうまくいかなかった、失敗をしたという経験はありましたか」

 山口「個々人だから、心に訴えられなかったこともあった。でも、これでもか、これでもかと関わって立ち直った子どももいる。本当は親子である以上、親がしつけをしなければいけないのだけれど。今も昔も、離婚や未婚やさまざまな家庭の形態がある。しかし、子どもの将来や人生が犠牲になるような家庭のあり方というのは問題だと思う」

 泣き虫先生流の生徒操縦術の極意は「分かってあげる」という深い愛情。教育の現場だけでなく、子どもを持つ親にも伝わるメッセージだと言えそうだ。

 ◆山口 良治(やまぐち・よしはる)1943年(昭18)2月15日、福井県生まれ。中学まで野球少年。若狭農林高(現若狭東)でラグビーを始める。日体大。日本代表13キャップ。1971年の3―6で敗れたイングランド戦に出場。名キッカー兼フランカーとしてならした。岐阜県での教員、京都市教育委員会勤務を経て74年に伏見工に体育教師として赴任。ラグビー界で無名だった同校を全国の強豪に押し上げ、監督として2回、総監督として2回の日本一に導いた。

 ◆清水 次郎(しみず・じろう)1971年(昭46)10月12日、東京都出身の45歳。早実高では野球部。早大を経て94年4月にABC(朝日放送)に入社。高校野球、阪神戦の実況を務めた看板アナウンサー。阪神の情報番組「虎バン」の司会も11年務めた。「生徒それぞれに輝ける場所がある。それに気付いてもらい、前向きな人生を送れるようにお手伝いをしたい」という思いから通信教育で教員免許を取得。16年6月に同社を退社し、同9月に兵庫県公立高校の教員採用試験に合格した。4月から高校の社会科教師になる。家族は妻と男の子2人。

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2017年1月12日のニュース