続々と若手が台頭するフィギュアスケート界 先駆者の苦労があればこそ

[ 2016年11月29日 11:15 ]

 【藤山健二の独立独歩】平昌五輪開幕まであと1年と3カ月。20年東京五輪へ向けての景気づけに大量のメダル奪取が期待されるが、注目はやはりフィギュアスケートだろう。金メダル争いはもちろんのこと、それ以前に代表争いが熾烈だ。男女とも若手の台頭が著しく、しかも誰が出ても本番ではメダルが狙えるハイレベルの争いだけに、選手たちは本当に大変だ。

 次々と世界に通用する若手が飛び出すきっかけとなったのが92年の夏から長野・野辺山で毎年行われている全国有望新人発掘合宿であることはよく知られている。1期生が06年トリノ五輪金メダリストの荒川静香であり、羽生結弦も浅田真央もこの合宿を経験してきたことも周知の事実だ。もともとこの合宿は91年に長野五輪開催(98年)が決まったのに合わせて若手の強化を図るのが狙いだったが、もう一つ、選手層の底上げも大きな目的だった。

 日本のフィギュアスケート界は92年のアルベールビル五輪で伊藤みどりが史上初めて銀メダルを獲得して喜びに沸いたが、関係者にとっては「銀メダルしか獲れなかった」のが本音だった。当時の伊藤は世界でただ一人トリプルアクセルを跳ぶことができ、89年の世界選手権で日本選手として初めて金メダルを獲得。アルベールビル直前のラリック杯でも優勝するなど周囲は金メダル獲得に大きな期待をかけていた。しかし、伊藤は初日のオリジナルプログラムで転倒して4位と出遅れ、翌日のフリーでトリプルアクセルを成功させたものの惜しくも2位に終わった。金メダルが獲れなかった最大の理由を「伊藤一人に重圧がかかりすぎたため」と判断した連盟サイドは若手の有望選手を多数発掘して選手層の底上げを図った。その一つの手段が前述の発掘合宿だった。

 わずか数日の合宿ですぐ技術が向上するわけはないし、直接選手層の底上げにつながるわけでもない。しかし、体力測定や陸トレなど普段はあまり行わないトレーニングを通じて自分の長所や短所を知り、同世代のライバルたちと接することによってさまざまな刺激を受けたことが、その後の成長過程で大きな財産になったであろうことは想像に難くない。

 92年当時の伊藤は本当に一人ですべての重圧を背負い込んでいた。もし同レベルの選手がもう一人二人いたらまた違った結果になっていたかもしれないと思うと今でも残念でならない。しかし、そのおかげで層の厚い今の日本フィギュア界が生まれたのだとすれば、伊藤の苦労も無駄ではなかったことになる。平昌ではぜひ男女ダブルでの金メダルを期待したい。(編集委員)

 ◆藤山 健二(ふじやま・けんじ)1960年、埼玉県生まれ。早大卒。スポーツ記者歴34年。五輪取材は夏冬合わせて7度、世界陸上やゴルフのマスターズ、全英オープンなど、ほとんどの競技を網羅。ミステリー大好きで、趣味が高じて「富士山の身代金」(95年刊)など自分で執筆も。

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2016年11月29日のニュース