白鵬独占激白 全てはあの3勝、負け越しから始まった“宿命”

[ 2016年11月16日 08:00 ]

大相撲九州場所3日目 ( 2016年11月15日    福岡国際センター )

新年初稽古で汗を流す白鵬(2011年撮影)

 私が番付に初めて載ったのは2001年の夏場所。虫眼鏡を使わないと“白鵬”というしこ名が見えなかったのは今でも覚えています。二番相撲で古川という力士に勝って1勝目を挙げたことも、はっきりと記憶に残っています。

 しかし、その場所は3勝3敗で迎えた最後の相撲で南ノ島というトンガ出身の力士に敗れて、負け越してしまいました。今思うと、62キロで入門した少年が弱かったということ。そこから猛稽古に励んで、耐え、今がある。あの負け越し、あの3勝が今に生きている。まさに“3勝”から“1000勝”への道は始まりました。

 若い頃は、モンゴルで生まれた自分が違う国に来たからこそ死ぬ気でもっと精進しなければいけないと、ずっと思っていました。心の中にはハングリーさに加え、責任感という思いもあった。一つの国を代表してきているという、ね。ましてや、私にはモンゴル相撲の大横綱だった偉大なオヤジ(1年に1度のモンゴル最大の国家大会で計6度優勝、68年メキシコ五輪レスリング銀メダリストのジグジドゥ・ムンフバト氏)がいますから。そうした志を持った中で、美しい日本が私を育ててくれました。

 ここまでの私を支えてくれたのは、日本とモンゴルの2つの国、両親、友人、恩人、そして家族です。特に妻の紗代子には、本当に感謝をしています。スポーツ選手にとって一番つらいことはケガをした時。そんな時に私の奥さんは近い距離にいてくれた。逃げるのではなく、励ましてくれた。一緒にいるべき人は“この人だな”と思いました。私が強くなってからではなく18歳から一緒ですし、なによりも3人の子供たちを産んでくれました。今後はアジアや世界の人々に助けの手を伸ばせるような、偉大な母になってもらいたいと思っています。3人の子供に対しても同じ思いです。一緒に過ごしていると本当にリラックスできるし、できるだけ子供と一緒にいたい。将来、子供たちには逆にお父さん、お母さんに恩返ししてほしいな、と思っていますし、世界の人々にとって役に立つ人材になってもらいたい。

 最後に、モンゴルと日本という2つの故郷を持たせていただいた幸せがあるからこそ、1000勝を達成できたのだと思っています。それは宿命でした。2つの国に恩返しがしたい。その思いでこれからも相撲を取っていきたい。 (横綱)

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