すべての原因は「五輪万能主義」という時代錯誤の思想にあるのではないか

[ 2016年10月16日 10:00 ]

壇上で談笑する小池百合子知事と森喜朗東京五輪・パラリンピック組織委会長だが…
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 【藤山健二の独立独歩】20年東京五輪・パラリンピックの開催費用について、外部の有識者からなる東京都の調査チームが「3兆円を超す可能性がある」と指摘した。経費削減のために再び会場の変更が必要となり、東京都と組織委員会、さらにはIOC(国際オリンピック委員会)やIF(国際連盟)まで巻き込んだ混乱が続いている。大会エンブレムの盗作疑惑に始まり、新国立競技場の再設計、招致にまつわる裏金疑惑、そしてまたまた会場の変更…。いったいなぜこんなトラブルだらけの五輪になってしまったのだろうか。

 個々の問題にはそれぞれ個々の原因が存在する。だが、これまでの流れを振り返ると、最大の原因は大会を招致した東京都や国、そして組織委の中にいまだに「五輪万能主義」、つまり「五輪なんだからいくら金がかかっても誰も文句は言わないだろう」という半世紀前の古い考え方が残っているのではないかと思えてならない。

 64年に開催された東京五輪は敗戦から復興した日本を世界中に印象づけた。競技会場はもちろん、新幹線や高速道路などのインフラ整備に巨額の公費が投入され、日本は空前の好景気に突入。実際には当時も開催経費の高騰や施設建設に伴う立ち退き、環境破壊などさまざまな問題が指摘されたのだが、「五輪を通じて再び世界の一流国に復帰したい」という国民の強い願いの前では些細なことにすぎなかった。いくら金がかかろうと少しぐらい生活が不便になろうと「五輪のためなら」とみんなが我慢した。

 今回の五輪開催も背景は似ている。停滞する日本経済の起爆剤として、そして東日本大震災からの復興に弾みをつけることを目的に招致活動を開始し、13年9月のIOC総会で正式に開催都市として選出された。だが、50年の間に世の中の価値観や五輪に対する人々の意識は大きく変わった。五輪自体も変貌し、際限なく商業化と肥大化を進めた結果、50年前のような崇高な理念は完全に消滅した。今の日本人にとって五輪はただの大きなスポーツイベントにすぎず、したがって「五輪のためなら仕方がない」などという気持ちはさらさらない。公共事業のために税金を垂れ流すことは許されないし、当然理不尽なことを我慢するつもりもない。にもかかわらず、おおざっぱな計画しか立てようとしない東京都や組織委がやっていることは「五輪なんだからこれぐらいはいいでしょ」「五輪なんだからみなさんも少し我慢してくださいよ」という半世紀前の手法と少しも変わっていない。

 13年当時の招致委員会は東京五輪による経済効果を約3兆円と見込んでいた。本当に総経費が3兆円なら、差し引きはゼロである。「だったらやらないほうがまし」と言われたのではあまりにも寂しくないか。(編集委員)

 ◆藤山 健二(ふじやま・けんじ)1960年、埼玉県生まれ。早大卒。スポーツ記者歴34年。五輪取材は夏冬合わせて7度、世界陸上やゴルフのマスターズ、全英オープンなど、ほとんどの競技を網羅。ミステリー大好きで、趣味が高じて「富士山の身代金」(95年刊)など自分で執筆も。

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