谷浩二朗 陸上からラグビー再転向 “プロポーズ”は「東京五輪に出てみませんか」

[ 2016年9月29日 09:33 ]

 右代啓祐を追い詰めた男、と書いたら、さすがにリオデジャネイロ五輪の旗手に失礼だろうか。

 トップリーグの東芝に、谷浩二朗という男がいる。24歳、ポジションはウイング。1年前までは、陸上の十種競技の選手だった。自己ベストは7453点。右代が14年の日本選手権でマークした日本記録が8308点だから、やはりその背中は近くて遠かったはずだ。

 陸上を始めた理由は、ラグビーのためだった。小2でラグビーを始め、中学時代には兵庫県選抜にも選ばれた(中学校は12人制)。当時のポジションはセンター。「もっと足が速くなりたい」と、ラグビー部のなかった神戸市立有野北中では陸上部に入部した。

 ここで運命が変わる。専門を決めるために短中長距離、跳躍、投てきとあらゆる種目を計測したところ、万能の才能を発揮。熱心な顧問により、勧められた競技が十種競技の中学生バージョンと言える四種競技(110メートル障害、砲丸投げ、走り高跳び、400メートル)だった。同種目では史上初めて中2で全中に出場(本人談)すると、中3時に準優勝。400メートルリレーでは2走で全国3位に入った。一方でラグビーからは離れざるを得なかった。

 滝川二高時代は3年時のインターハイの八種競技(十種から円盤投げと棒高跳びを除いた競技)で優勝。筑波大に進学し、いよいよ五輪を本格的に目指す段階になり、新たに加わった棒高跳びに苦戦した。日本選手権での最高順位は大学4年時の14年大会7位。卒業間近の15年3月、2度目の運命の転換が訪れる。人づてに谷の存在を知った東芝関係者からの誘いを受け、悩み抜いてラグビーへの再転向を決めた。

 昨年9月から東芝で練習を開始。陸上時代は78キロがベストだった体重を、87キロまで増やした。身に覚えのあるラグビーのスキルは、ずぶの初心者とは比べるまでもないレベルにあったが、現在でもコンタクトプレーや状況判断には苦労しているという。今季開幕前のプレシーズンマッチでは出場機会を得たが、シーズンに入ってからはまだ起用の声が掛かっていない。「今季中は難しいかも知れない」と冷静に自己分析するが、100メートル10秒86の俊足、得意種目の110メートル障害を14秒台で走るボディーバランスやバネは近い将来、ラグビーでも必ず生かされるはずだ。

 2度目の運命の転換は、東芝でチームメートとなった元ハンマー投げ選手のプロップ知念雄がもたらしたことも書き加えておきたい。知念が東芝に入部後、当時の薫田真広総監督(現日本協会15人制代表ディレクター)から「今度は陸上出身者からバックスの選手がほしい。面白い選手はいないか」と声を掛けられた。知念は母校順大の混成種目のコーチに連絡。谷の存在を知るそのコーチが、最終的に谷の存在を紹介したという。

 昨年3月、初めて薫田氏と面会した谷が最初に掛けられた言葉は、「東京オリンピックに出てみませんか」だったという。もちろん、その“プロポーズ”の言葉が、再転向を決断する決め手になったのは言うまでもない。まだセブンズのプレー経験は一切ないというが、4年後に向けても面白い存在になるかも知れない。(阿部 令)

続きを表示

2016年9月29日のニュース