豪栄道恩師「高校入学時には相撲で生き抜く覚悟ができていた」

[ 2016年9月25日 08:54 ]

昨年秋場所前、豪栄道に化粧まわしを贈呈した埼玉栄高の山田道紀相撲部監督

大相撲秋場所14日目

(9月24日 両国国技館)
 豪栄道の母校・埼玉栄高の山田道紀相撲部監督が本紙に手記を寄せた。大相撲界に17人もの関取を送り込んだ名将だが、教え子の優勝経験は初めて。中学時に相撲への情熱が薄れかけていた豪栄道を自らスカウトして育て上げた恩師が祝福の言葉とエールを送った。

 埼玉栄高相撲部監督として、今はうれしい気持ちしかない。豪太郎が大関昇進の時の口上で述べた「大和魂」という言葉を貫き、正々堂々と相撲道に打ち込んだ結果だと思う。本当におめでとう。

 中学3年の時に身体能力を見込んで思い切ってスカウトした。当時の彼は相撲への情熱が少し薄れていたようで体重は75キロしかなかったが、翌年4月の入学時には自分自身の努力だけで90キロまで増やしていた。その姿を見て、これから相撲で生き抜く覚悟ができているのだと思った。高校の3年間は本当に真摯(しんし)に相撲に向き合っていたし、それは境川親方の下で相撲道に励む今でも変わっていない。

 豪太郎は高校時代からとにかく肉が好きで、生魚が嫌いだった。寮生活では今でも私自身がフライパンを持って朝・昼・晩の食事を作っているが、彼にはとにかく魚を焼いて食べさせた記憶が残っている。力士を目指す人間にとって体づくりは基本。今でも母校に帰ってきてくれた時は寮でご飯を食べ「おいしい」と言ってくれる。これからも、いつでも待っているからな。

 高校時代はとにかくどんなに強くなっても、いい成績を残しても“威張るな”ということを徹底的に指導したつもりだ。同学年だった妙義龍が大学卒業を経て4年遅れで同じ境川部屋に入門した時、豪栄道は既に関脇だった。しかし、弟弟子となった妙義龍に対して全く威張らず、普通に接したと聞いている。そうした気持ちは、たとえ優勝を成し遂げても決して忘れないでほしい。

 今後については、もちろん横綱を目指してほしい。ただ、今は“今場所本当におめでとう”と言ってあげたい。大関というよりも一人の人間として本当にありがたいと思う。指導者冥利(みょうり)に尽きるとはこういうことだ。 (埼玉栄高校相撲部監督)

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2016年9月25日のニュース