決勝相手のマルーリス「吉田さんと戦えて光栄。私の人生の夢でした」

[ 2016年8月20日 05:30 ]

リオ五輪<女子レスリング・53キロ級 決勝>マルーリス(右)に敗れ、うずくまる吉田

リオデジャネイロ五輪レスリング・フリースタイル女子53kg級決勝

(8月18日 カリオカアリーナ)
 吉田と一緒にマットに顔をうずめて泣いていた。「何が起こったのか分からなくて…。本当に私は勝ったの?」。レスリング女子53キロ級決勝。優勝したヘレン・マルーリス(24=米国)は、金メダリストという自覚を得るまで周囲に視線を送りながら何度も同意を求めた。

 4年前はロンドン市内をさまよっていた。米国代表選考会でケルシー・キャンベル(31)に1ポイント差で敗れその練習パートナーとして五輪に参加。裏方の役目を務めながらも、1人になったときは悔しさを紛らわせるためにチームを離れた。しかし当時のテリー・スタイナー代表監督は「2番目になることのつらさを感じ取れ。おまえには未来がある。必ずその時は来る」とマルーリスの背中を押し、吉田が3連覇する試合を目に焼き付けさせた。

 15年世界選手権の55キロ級で優勝。その後、五輪にない階級となったために吉田同様に53キロ級に転向した。1年かけて14%あった体脂肪を4%にまで削り取る。なくなった脂肪分は計算上5・6キロ。一方で入念な栄養摂取が功を奏して筋肉は3・6キロ増え、この“よろい”が最強の霊長類をはねのけるパワーを生み出した。

 「五輪で3連覇しながら、さらに4年間の歳月を費やして4連覇に挑戦してきた吉田さんと戦えたことを光栄に思います。私の人生の夢でした」。吉田より1試合多い5試合を戦い抜いての頂点。通算62連勝となった新女王に対し米国のメディアは「史上に残るHUGE・UPSET(大番狂わせ)」と形容した。

 マルーリスが勝ったからこそ、吉田の偉大さがより一層、浮き彫りになった。

 ◆ヘレン・マルーリス 1991年9月19日、メリーランド州ロックビル出身の24歳。7歳からレスリングを始め、高校生の時にはメリーランド州の男子の大会で6位に入賞。世界選手権の55キロ級では12年2位、14年3位、15年1位。1メートル60。

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2016年8月20日のニュース