【メダリストは見た】田端真紀 福原選手の経験値、団結力が武器に

[ 2016年8月14日 05:30 ]

福原愛(AP)

リオデジャネイロ五輪・卓球女子

 卓球女子の福原愛が2大会連続のメダルに挑む団体戦が始まった。4度目の五輪となる福原はシングルスではメダルまであと一歩に迫り、団体戦1回戦では快勝発進に貢献した。スピードスケートで5度の五輪に出場し、10年バンクーバー五輪の団体追い抜きで銀メダルを獲得した田畑真紀(41)は、経験を積んで大舞台で力を発揮する福原に頼もしさを感じている。

 若いのにベテラン選手のように、凄く落ちついていましたね。福原選手はシングルスでわずかにメダルに届かず、もの凄く悔しい思いがあったと思います。スピードスケートもそうですが、卓球は基本的には個人競技。やっぱり個人種目でのメダルにはこだわりがあったはずです。でも団体戦ではちゃんと気持ちを切り替えていました。安心して見ていられましたね。

 前回のロンドン五輪の団体戦で銀メダルを獲って、今回はさらにメダルへの思いを強めていたと思います。やっぱり上には金メダルがある。シングルスではまだメダルがない。4年前、3度目の五輪でようやく欲しかったメダルを手にしたとはいえ、それで心がすべて満たされるようなことはなかったと思います。

 五輪のメダルを獲ってみて、初めて感じる重みがあります。これは実際に手にしてみないとなかなか分からないものだと思います。私は4度目となるバンクーバー五輪で初めて銀メダルを獲りました。メダリストになって日本に帰ってくると、空港ではまず他の選手たちと出口が違いました。出たら大勢の報道陣やお客さんが待っていました。それからはテレビ出演のはしごです。その後も祝勝会が続いて、園遊会にも招待されました。どれもこれも初体験のことばかり。スピードスケートはマイナー競技なので、これまで他の国際大会で結果を残してもこんなに注目されたことはありませんでした。五輪のメダルを獲ると、こんなにも扱いが違うんだと驚きました。

 でも、一番うれしかったのは会社に行っても、地元に帰っても、メダルを見せるとみんなが喜んでくれたことです。どこにいっても大歓迎されました。五輪のメダルの持つパワーを物凄く感じました。そして自分はこんなにも多くの方に応援され、支えられていたんだということを改めて実感しました。

 若い頃はなかなか意識しませんが、私たちアスリートは決して一人で戦っているわけではありません。家族やコーチ、スタッフ、ファンの方々、多くの支えがあって競技ができるのです。そういった周囲の応援や期待を受け止めて、自分の力に変えること。それができることが、経験を積んだ選手の強みだと思います。

  その一方で、五輪出場を重ねると、五輪の難しさをかえって感じることがあります。五輪のレベルの高さを知っているからこそ、つい力が入ってしまう。周囲の期待が高くなるほど、結果にこだわってしまう。結局、本来のパフォーマンスを発揮できない。私は2年前のソチ五輪では1500メートルで25位と思うような結果は出せませんでした。41歳となり、5度五輪を経験した今でも五輪の難しさを感じています。

 ◆田畑 真紀(たばた・まき)1974年(昭49)11月9日生まれ、北海道鵡川町出身。駒大苫小牧高卒。富士急を経て、現在はダイチ所属。94年リレハンメル、02年ソルトレークシティー、06年トリノ、10年バンクーバー、14年ソチと冬季五輪5度出場。バンクーバー五輪では団体追い抜きで小平奈緒、穂積雅子と組んで銀メダルを獲得した。1メートル62、55キロ。

 ▼10年バンクーバー五輪での田畑 スピードスケート女子団体追い抜きに小平奈緒、穂積雅子とともに出場。決勝でドイツに敗れたものの日本女子スピードスケート初のメダルを獲得

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