【レスリング】井上智裕 教師の職を捨て復帰 4年前に届かなかった夢舞台へ

[ 2016年8月2日 10:15 ]

レスリング・グレコローマンスタイル66キロ級代表の井上智裕(右)

 今年3月にカザフスタンで行われたアジア予選で優勝し、リオデジャネイロ五輪代表の切符を手にしたレスリング・グレコローマンスタイル66キロ級の井上智裕(29=三恵海運)。一度は現役を退くことも考えたが、教師の職を捨ててあらためて夢を追った。人生を懸けてつかみ取った五輪行き。本番では「毎試合100%の力を出し切る」と力を込める。

 五輪出場権が懸かった予選準決勝は地元選手との対戦で“完全アウェー”の雰囲気だったが、集中力を崩すことなく勝利をつかみ取った。「地元びいきの判定をされないために自分が不利になる状況をできるだけ作らないように心がけました。試合が終わった瞬間、人生で初めてうれし泣きをしました」

 4年前は母校・育英高校(兵庫)で教員を務めながらロンドン五輪出場を目指していたが、代表の座に届かなかった。「100%の力を出して負けたので未練はありませんでした」と、第一線から身を引く決意。目標を「日本一の指導者」に変更した。

 教師という立場で、指導を中心に生徒たちと練習。全日本選手権にも出場したがあくまでも“レスリングを楽しむ”ことの延長だった。しかし、よもやの初優勝を果たしたことが、井上の気持ちを大きく揺さぶる。「まだオリンピックに出場できる可能性があるのかなという気持ちが出てきました。しかし、家庭を持っているので簡単に現役復帰はできないし…」

 現役復帰か、引退か…。迷う井上を後押ししたのは妻だった。「誰にも相談できずにいると、妻がそれを察したのか『もう一度本気でやってみたら』と言ってくれた」。そこからは一直線。再就職が決まらぬまま教師を辞め、現在の練習拠点の母校・日本体育大学がある横浜へと引っ越し。その後、地元の神戸で三恵海運に入社し、高校教師から“プロ”のレスリング選手へと転身した。

 この4年間は好物のスイーツを減らすなど食事に気を配り、脂肪を減らしつつ筋肉をつけた。全日本選手権を制した74キロ級から71キロ級、そして66キロ級へと階級を変更。約10キロの減量に成功した。

 努力は実を結び、アジア予選を制して悲願の五輪代表に。真っ先に連絡したのは、これまで支えてくれた妻だった。「両親と迷いましたが、子育てを全て任せて、食事も家族と別のものを作ってもらい一番負担や迷惑をかけていたので」

 目標は金メダル。だが、まずは100%の力を出すことに集中する。「そうすれば自然と結果は付いてくるし、負けたとしても後悔なく終われる。ずっと目標としていたオリンピックに出場できるので早くその舞台で試合がしたい」。目前に迫った戦いを待ちきれずにいる。

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