登坂絵莉 女王への道開いた「雲の上の存在」からの1点

[ 2016年6月29日 12:00 ]

全日本選抜選手権の会場で登坂が撮った小原日登美(中央)と息子の悠陽君(右)との写真

 ロンドン五輪の代表選考が佳境を迎えていた5年前、勝者の陰の中にいた彼女の飛躍をどれだけの人が予見していただろうか。毎週水曜日掲載「カウントダウンリオ」の今回のテーマは「負けたから今がある」。レスリング女子48キロ級で世界選手権3連覇中の登坂絵莉(22=東新住建)は初出場のリオ五輪で有力な金メダル候補として期待されている。彼女が世界女王へ上り詰めたきっかけは、11年全日本選手権決勝での敗戦にあった。

 11年12月、ロンドン五輪の代表選考会を兼ねた全日本選手権が行われていた。戦前の話題は、ここで勝てば代表が決まる小原日登美(自衛隊)や7年ぶりに現役復帰した元世界女王の山本美憂。至学館高3年の18歳に注目する向きは皆無だった。

 その年の高校女王とはいえ階級は46キロ級。大学生や社会人を相手に48キロ級で戦うにはまだ体格も足りなかった。本人の期待値は「1回戦勝てればいいな」程度。登坂の父・修さんも娘と組み合わせを見ながら「この子にも、こっちの子にも練習で負けてる。どうせ1回戦から2回戦だな」と予想し、「すぐに帰る予定でホテルも予約してなかった」という。

 それぐらいが客観的で、冷静な状況分析だったのだろう。しかしスポーツは時折、安直な胸積もりを拒んで走りだす。無欲の登坂は2回戦で山本を破るなど快進撃を見せ、本人も「ビックリの連続」で決勝戦まで勝ち進んだ。最後の相手は同年の世界女王でもある小原日登美。登坂には「怖くて合宿でも近寄れない。雲の上の存在」だった。

 「初めての対戦でボコボコにやられるだろう」という予想は一方で当たり、一方で外れた。第1ピリオド、バックを取られて先制を許す。しかし守勢の中で一瞬の隙を突いて片足タックルに入り、1点を返した。小原の大会初失点。ここから突き放されてピリオド奪取はならなかったが、登坂にとって将来を左右する1点となった。

 「点差はそんなに出なかったけど実力差は凄く感じた。戦っていてもスタミナが無限。この人どれだけ練習してきたんだろうって。まともに立っていられなくて、人生で一番苦しい試合だった」。女王の想像通りの強さに畏怖しつつ、無邪気な手応えも感じていた。「予想外に点数が取れたり、そんなに取られなかったり。あれ?これってもう少し頑張ったら全日本チャンピオンになれるんじゃないかな」

 単純な思い込みがその後の飛躍を後押しした。「実力はそこまでいってなかったけど、私は全日本2位、だから負けられないという自覚ができた」。12年6月に全日本選抜選手権で初優勝し、初めて世界選手権代表に選ばれた。過去4戦全敗だった入江ゆき(九州共立大、現在は自衛隊)が体調不良で欠場しており、最大のライバル不在にも助けられた代表選出。風も吹いていた。世界選手権は決勝での不可解判定に泣いたが、初の大舞台で準優勝。次第に全てがかみ合い始めた。

 「小原さんとの試合で自信をつけて、世界でも勝ち上がれるんだとさらに自信をつけた。そこから一気でした。人間の自信って凄い。一番のきっかけは小原さんとの試合ですよね」(修さん)

 2人の接点はもう一つある。13年6月の全日本選抜選手権、登坂は入江との決勝前に現役を引退していた小原とトイレでばったり出くわした。「調子はどう?」「いいけど相手もよさそうです」。少し言葉をかわし、別れ際にハイタッチした。「その時に自分が日登美さんの後に勝つんだと意識した」。バトンタッチしたその年から世界選手権3連覇。まぎれもない金メダル候補に成長した。

 「レスリングをやっている時に凄く生き生きしていた。つらいこともあるけどレスリングが好き。こういう子が強くなっていくんだろうなと感じていた」。今も自衛隊体育学校に籍を置く小原は、普段の練習から登坂の明るい未来を感じていたという。14年10月に第1子となる悠陽君を出産し、現在は第2子を妊娠して産休中。初の五輪に臨む登坂に「勝たなきゃいけないプレッシャーもあると思うけど、五輪も世界選手権も日本の試合もやることは一切変わらない。今まで通りの絵莉で、勝ち負けを意識しないで自分のやるべきことに集中して臨んでほしい」とエールを送った。

 階級変更、2度の五輪落選、度重なる膝の手術、うつ病を乗り越えての金メダル。登坂は最近、周囲の人から改めて小原の現役時代の苦闘を聞いたという。「本当に凄くて、レスリングに懸ける思いがハンパない。今の自分でも勝てないかもしれない。でも、もし日登美さんがいたら、もっと強くなれていたかもしれない」。戦い、勝つことはかなわぬ夢となっても、その背中はまだ目標であり続けている。「日登美さんが金メダルを獲った後に、私も何が何でも獲りたい気持ちはある」。リオで金メダルを手にした時、偉大な先輩に肩を並べられるはずだ。

 ◆登坂 絵莉(とうさか・えり)1993年(平5)8月30日、富山県高岡市生まれの22歳。南星中―至学館高―至学館大―東新住建。高校時代に国体優勝経験がある父・修さんの影響で、小3で高岡ジュニア教室入り。高2、3年時にインターハイ連覇。全日本選手権、全日本選抜選手権は12年から4連覇。世界選手権初出場の12年は決勝で不可解な判定にあって銀メダル、翌年から3連覇している。1メートル52。

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