バセドー病克服 星奈津美 五輪金メダルのため勇気の手術決断

[ 2016年5月18日 10:20 ]

手術を乗り越え五輪切符をつかんだ星は優しくほほ笑む

「カウントダウンリオ」競泳女子200メートルバタフライ、星奈津美

 毎週水曜日掲載の「カウントダウンリオ」。今回のテーマ「負けたから今がある」では、バセドー病を克服して15年世界選手権(ロシア・カザニ)を制し、リオの金メダル候補に浮上した競泳女子200メートルバタフライの星奈津美(25=ミズノ)に迫る。高1でバセドー病を患い、薬で甲状腺ホルモンの数値を安定させてきたが、2位に終わった14年9月の仁川(インチョン)アジア大会を境に病状が悪化した。奇跡の復活までの軌跡をたどる。

 歓声が響くカザニのスタンドで、激しく揺れる日の丸が背中を押した。150メートルを3番手で折り返すと、星は得意のラストスパートで猛然と追い上げた。残り25メートルでトップに立つと体半分リードを広げてゴール板をタッチした。自己ベストには0秒87届かなかったが、2分5秒56で優勝。バセドー病の手術から258日で世界一になる奇跡の復活を、誰が想像しただろうか。

 14年9月24日の仁川アジア大会。ロンドン五輪銅メダリストは本来の姿を失っていた。優勝は2分7秒56の焦劉洋(中国)。伸びを欠いた星は自己ベストより3秒35も遅い2分8秒04で2位だった。激しい鼓動と電光掲示板に映された記録が比例しない。レース後はいつも以上の疲労感が全身を覆った。「タイムが悪いのに、異常なぐらい体がきつい」。肩で息をして水から上がると、プールサイドでは足がもつれ歩くのがやっとだった。

 帰国後の10月の定期検診。薬でコントロールしていた甲状腺ホルモンの数値が悪化していたことが判明した。遠征後は疲労やストレスで、数値に若干の変化が生じることもある。これまで一時的に薬の量を1錠増やして対処したことはあったが、今回は医師から「2錠追加する」と言われた。「良くないんだ」と直感した。1錠増やすだけでも足がつりやすくなる。リオまでの2年間、さらに多くの量を飲みながら練習を続ける姿を思い描けなかった。病院を後にして涙ながらに母・真奈美さんへ電話した。「(水泳を)やめるしかないのかも」。震える声で絞りだした。

 母も甲状腺の病を抱えている。遺伝することがあるため、星は小6の時に一度検査を受けた。その時異常は見つからなかったが、それから4年後。埼玉・春日部共栄高1年時の3月に、体調不良を訴えて病院に行きバセドー病と診断された。その後は薬を服用して競技を続けてきたが、再び悪夢に襲われたのだ。

 目標としていた15年夏の世界選手権に出場するには、半年後の選考会で結果を出さなければならない。バタフライは呼吸時に首を上下に振るため、喉付近にある甲状腺摘出の手術をすれば患部に負担が掛かる。「メスを入れるのは怖い」。可能であれば違う治療で解決したかったが、あまりに病状が思わしくなかったため、手術を決断した。

 春の選考会に間に合わせるには、年始には練習を再開したかった。かかりつけの病院では手術が半年待ちのため、別の病院を紹介してもらい約1カ月後の14年11月21日に手術を受けた。オペで甲状腺を全摘出して完治したが、喉には横幅約10センチの手術痕が残った。1週間の入院中は母が毎日足を運んでくれた。数日で起き上がれるようになってからは、友人も見舞いに来てくれた。「24歳にもなっているのに、申し訳ないと思いながら、でもやっぱり心強かった」。自宅で2週間安静後、予定よりも早い12月中旬に練習を再開した。

 ロンドン五輪の銅メダルを上回る結果を求めて、環境も新たにした。平泳ぎで五輪2大会連続2冠の北島康介氏を育てた平井伯昌コーチに師事した。泳ぎ始めてから1週間。その平井コーチからシュノーケルをつけてバタフライで泳ぐよう命じられた。年明けに解禁するつもりでいた星には恐怖心もあったが、その一方で「泳げた時はうれしくて(ブランクを)取り返そうとしか考えていなかった」と向上心が芽生えた。

 15年4月の代表選考会では不安になり、レース前夜に母へ電話した。「みんなへの感謝の気持ちを込めて泳ぎなさい」。支えてくれた人たちの顔を思い出すと、涙が止まらなかった。だが6連覇を達成して自信を取り戻した。迎えた世界選手権。日本にいる母に「とにかく早く泳ぎたい。レースが楽しみ」という内容のLINEを送るほどメンタル面も成長した。

 これまでは不安を感じると泣きながら母に電話をした。そんな娘の姿を見守ってきた母は、初めて試合前に強気な発言をした愛娘に「凄くびっくりした」という。そして母の返信は、やはり「感謝を込めて、自分らしく泳ぎなさい」というメッセージだった。

 「今までより頑張れるようになった」。ロンドン五輪の銅メダルでは満足できなかった。金メダルを獲りたいがためにメスを受け入れた。敗戦と手術を乗り越えてつかんだ世界選手権の金メダル。リオで迎える物語の完結編では再び「感謝」の2文字が刻み込まれる。 (宗野 周介)

 ▽バセドー病 喉仏の下部にある甲状腺の機能が高まり、過剰に甲状腺ホルモンがつくられる病気。代謝が活発になって脈拍が速くなり、汗の量が多くなる。さらに、疲れやすくなり微熱などの症状も表れる。顔つきや目つきがきつくなったり目が出てくる眼球突出は代表的な例。

 ◆星 奈津美(ほし・なつみ)1990年(平2)8月21日、埼玉県越谷市出身の25歳。春日部共栄高―早大。3歳から水泳を始めて高1の全国高校総体で200メートルを制し全国大会初優勝。08年北京五輪10位。11年世界選手権4位。12年ロンドン五輪銅メダル。13年世界選手権4位。15年世界選手権優勝。験担ぎとして大会前にウナギを食べる。1メートル65、56キロ。

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