“地獄”から復活した竹下佳江の人生とは 一時は現役引退も

[ 2016年5月18日 10:00 ]

バレーボール人生を振り返る竹下佳江

 12年ロンドン五輪で28年ぶりの銅メダル獲得に貢献した元バレーボール全日本女子のセッター・竹下佳江(38)は、壮絶なバッシングを受け、一時は引退していた過去がある。18日に放送されるTBS「石橋貴明のスポーツ伝説…光と影」(後9・00)は、竹下がかつて味わった地獄とそこからの復活を描く。

 竹下は身長1メートル59で、セッターとしても小柄。身長の低さがネックとなり評価されなかった時、才能を見出したのが当時NECの葛和伸元監督だった。葛和氏はNECに竹下を勧誘し、自身が日本代表監督に就任すると、00年シドニー五輪最終予選の3カ月前に竹下を代表に招集した。

 日本バレーボール協会が大型セッターの育成を求めていた中で、竹下では小さ過ぎるという周囲の反対を押し切っての抜てき。予選の序盤は順調に白星を重ねたものの、あと一歩届かず1964年東京五輪以来続いていた五輪出場が途絶えた。葛和氏は代表監督を辞任。「竹下の上からスパイクを狙われた」「スケールの小さい選手をいくら組み合わせても限界がある」。批判の矛先はチームの司令塔であるセッターの竹下に向かった。

 竹下は当時をこう振り返る。「もうできないと思いましたよ、バレー」「小さい選手はダメだって言われてましたし、もうあなたはこの世界に必要ないんだよっていう感じだったので」。その2年後、竹下はチームの監督に戻っていた葛和氏に現役引退を告げる。02年4月、24歳の時だった。

 故郷の北九州市に戻って生活していた竹下だったが、バレーボールの試合を観戦中にJTから復帰へのオファーを受けた。何度断っても「あなたが必要なんですよ」と熱心に口説かれ、復帰を決意する。「もう居場所がないって、バレー界には自分の居場所がないって思ってたので。絶対にあなたとバレーをやりたい、あなたはここに絶対必要なんだからってことを何度も何度も言われて。自分の閉じていた扉をパカーンと開いてもらったような感じでしたね」02年8月、コートに戻り、その後日本代表にも復帰。長きに渡り全日本を支え、06年の世界バレーでは日本人として初めてとなるMVPに選ばれた。シドニー五輪から12年後、12年ロンドン五輪では銅メダルも獲得した。00年シドニー五輪出場を逃した時は戦犯扱いされ、引退にまで追い込まれた選手が歴史に名を刻む偉業を果たした。

 地獄と天国を経験をした竹下が今思うことは。そして教え子の姿を見て葛和氏が感じることとは――。

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