“獲物”は連続金!松本薫 野獣の原点は愛のスパルタ岩井塾

[ 2016年5月11日 11:00 ]

鋭い眼光の松本

 柔道女子57キロ級で2大会連続金メダルを狙う“野獣”こと松本薫(28=ベネシード)は、5歳で石川県金沢市の岩井柔道塾に入門。小柄な体ながらチームのレギュラーとして活躍する実力を持った選手だった。厳しい指導を受けながら、松本の獣性は静かに、そして確実に育まれていった。

 開業1周年を迎えた北陸新幹線で金沢駅へ。兼六園を通り過ぎ、南にさらに1キロ余り。観光客のにぎわいが途切れた街並みの中に松本が通った岩井柔道塾はある。いや、正しくはあった。

 「一番多い時は120人ぐらい道場生がいて、道場に入り切らなくて廊下に出て体操していた。薫の時は50人くらいだったかな」。道場主の岩井克良さん(70)はひっそり静まった道場を見渡し、懐かしそうに言った。岩井さんの父・美良さんがここに道場を開いたのが1953年11月。それを受け継いで指導を続けてきたが、体調面の不安もあって昨年7月についに道場を畳んだ。

 時代が止まったように昭和の面影をたっぷり残す木製家屋。道場主と同じく今も居住まい正すこの道場で合計4572人が柔道を学んできた。のちに金メダリストとなる5歳のか細い女の子が、きょうだいの後を追い入門してきたのは93年8月3日のことだった。

 「表情がないし口数が少ない。黙って黙々とやるタイプで、勝ったって喜ばないで淡々としていた。のちに代表になって記者の方から“よくしゃべりますよ”と聞かされてびっくりしたんです」

 当時は「全員を公平に扱う」という方針の下、全員が厳しいレギュラー練習を行っていた。学年も強い弱いも関係ない。ひときわ小柄な体で、年上のお兄さんやお姉さんたちの練習に食らいついていたのが松本だった。妖精が見えるという不思議ちゃんぶりや、相手を射すくめる野獣の目つきはまるで見せずに。

 ただし獣のような前のめりの構えは当時も同じ。岩井さんは松本の試合を見た別の道場の子供が「何あれ?レスリングじゃないの?」と驚いていたのを覚えている。「あいつはレスリングか柔道か分からない柔道をしてた。基本的な柔道が一番だけど、とにかく細くて力弱くて小さかったからそれしかないんですね」

 岩井塾はまさにレスリングを取り入れていた。週7日稽古の1日がレスリング。「異種格闘技に興味があってね。でも勝たせるつもりなんて全くなくて、総合的な体づくりができればと思った」。レスリング導入によって、道場で毎日課される厳しいサーキットトレーニングのメニューはぐっと豊富になったという。「百数十種類あるけどレスリングを始めてからまた増えました。初めて見るトレーニングがレスリングにはいっぱいあった」と予想以上の効用を得た。おかげで塾生はレスリングでも活躍。松本も小学生の全国大会で表彰台に上がり、その前傾の構えを柔道にまで持ち込んで特徴に変えた。

 小学校中学年になると、体重が10キロ以上違う男子相手にも巧みに間合いを取り、勝ちはしなくとも引き分けられるようになった。欠かせない団体戦メンバーに成長。「受けがうまくて倒れない。瞬間的にずらして逃げる。いやあ、うまいなと思いました」。それは教えられた技術ではなく、鍛えられた野性の身のこなしだった。

 柔道雑誌のプロフィル欄を見ると、松本は自らの得意技を「気持ち」としている。中学時代の土曜日の練習は道場から約15キロ離れた高校への出稽古だった。高校生との激しい稽古後、塾生たちは重たい足で道場まで走った。「疲れているから2時間以上かかる。もうくたくたでしょう」。昼食を取って午後練がさらに4、5時間。ある時、松本は道中で脱水症状になり、コンビニに駆け込んで水を飲んで再び走ったという。サーキットトレを含め、最後まで攻め抜く“野獣スタイル”を支える忍耐力、持久力はこの頃のたまものだろう。

 岩井塾からは男子66キロ級の鳥居智男が03年世界選手権の代表となった。だが五輪金メダリストの誕生は全くの予想外。「世界選手権でもビックリしたのに、まさか五輪で優勝なんて」。一つだけ喜べないこともあった。「練習の厳しい道場という評判が立ってね。ロンドン五輪後は入門者がぴたっと来なくなった」と岩井さんは苦笑いした。その頃には時代に即した「優しい」指導に切り替えていたものの、金メダリストを出すほどだから厳しいに違いないと敬遠されたのだった。

 4年前に日本柔道唯一の金メダルをもたらした愛弟子は、リオで再び金メダルを期待される立場にある。「薫にはまず精神的な素養があった。そこからくる頑張りで元々の運動能力に拍車がかかって、どんどん勘が良くなった。今でも試合を見るたびに成長してます」。そう期待する岩井さんが、道場生に言い続けてきたことが一つある。「暗い我慢は絶対に続かない。明るく我慢するんだぞ」。闘争心あふれる戦いぶりと愉快なキャラクター。松本の中にその教えはしっかりと根づいているように思えるのだ。

 ◆松本 薫(まつもと・かおり)1987年(昭62)9月11日生まれ、石川県金沢市出身の28歳。5歳から柔道を始め、兼六中―藤村女子高―金沢学院東高(転校)―帝京大、現在はベネシード所属。2度目の出場となった10年世界選手権(東京)で初優勝。12年ロンドン五輪で金メダルを獲得。15年世界選手権(アスタナ)で女王に返り咲いた。1メートル62。右組み。得意技は足技、寝技。

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