北島引退決意 真剣勝負は「終わりです」涙で「やりきった」

[ 2016年4月9日 05:30 ]

レースを終え、肩を落とす北島

競泳リオデジャネイロ五輪選考会兼日本選手権第5日

(4月8日 東京辰巳国際水泳場)
 競泳男子平泳ぎの04年アテネ、08年北京五輪2大会連続2冠、北島康介(33=日本コカ・コーラ)が8日、現役引退を表明した。200メートル決勝で2分9秒96の5位。100メートルに続いて五輪切符を逃し、5大会連続五輪出場の道が断たれた。五輪で金4、銀1、銅2個のメダル(メドレーリレー含む)を獲得した水泳界のレジェンドは完全燃焼し、プールに別れを告げた。

 北島の五輪物語が終わった。5位でリオへの道が断たれたキングはプールサイドに座って、しばらく水面を見つめた。「自分にお疲れさま、と」。立ち上がると、静かにプールに一礼した。思い出のつまった辰巳に別れを告げると、館内は温かい拍手に包まれた。 

 「悔いはないです。ここまで長い期間できた。ここまで高いレベルでパフォーマンスができたので、自信を持って次のステージに行きたい」。「真剣勝負は最後か」と聞かれると「ハイ終わりです」とはっきり答えた。

 最後までスタイルを貫いた。持ち前の大きく力強いストロークで、最初の50メートルは前年覇者の小関に次ぐ2番手。「膝がぶっ壊れてもいい」。150メートルまで小関についていった。しかし、ラスト20メートルで伸びなかった。新鋭の渡辺一平にかわされ、タッチ勝負でさらに2人に抜かれた。かつてのように駆け引きする余裕はない。「負けて悔しさは残るけれど、最後まで自分の攻めるレースができた。やりきった感でいっぱいです」。派遣標準記録にも届かない2分9秒96での完敗だった。

 2大会連続2冠を成し遂げた北京五輪後はモチベーションを保つのに苦しんだ。米国に拠点を移すなど試行錯誤が続き、12年ロンドン五輪では個人種目のメダルはなかった。世界のレベルは上がり、再び金メダルを争うのは難しいと分かっていた。それでも「水泳を極めたい」「自分に挑戦したい」と競技を続けた。そして、昨年の日本選手権に敗れ、2年連続で代表入りを逃す屈辱を味わうと「自分には五輪しかない」。勝負師の魂が再燃、リオを最後のターゲットに決めた。

 今季は1日1回だった練習を週4日は1日2回にした。中2から指導を受ける平井伯昌コーチが監督を務める東洋大で若い学生たちに交じって練習。標高2300メートルのスペイン・グラナダでの高地合宿も2度実施し、追い込んだ。だが、厳しくなった派遣標準記録と急速に力をつけた若手の壁に最後は阻まれた。

 挑戦に後悔はない。「頑張って自己ベストを出したいと思う気持ちが小さい時と変わらなかった」。ただ平井コーチの話に及ぶと言葉を詰まらせた。「平井先生ともう一度五輪に行きたかった。今は感謝の気持ちでいっぱい」と涙をこぼした。

 今後はゆっくり休み、水泳とどう関わっていくか考える予定だ。高3だった00年シドニー五輪選考会で初めて日本記録を出して代表になってから16年。「悔しいけど晴れ晴れしい」。常に記録にそしてライバルに挑んできた男の五輪物語の最終章も「チャレンジ」だった。

 ◆北島 康介(きたじま・こうすけ)1982年(昭57)9月22日、東京都荒川区生まれの33歳。5歳で水泳を始め、本郷高3年時に00年シドニー五輪に出場し、100メートル平泳ぎで4位。04年アテネ、08年北京五輪では100&200メートルを制し、2大会連続の2冠を達成した。12年ロンドン五輪では400メートルメドレーリレーで銀メダルを獲得。同年、3人組バンド「girl next door」(現在は解散)のボーカルだった千紗さんとの婚約を発表。翌年9月に婚姻届を提出した。14年5月には長女が誕生した。1メートル78、72キロ。

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2016年4月9日のニュース