【箱根駅伝】早大・高田 「W」の誇りを胸にケガ乗り越えた主将

[ 2016年1月1日 13:16 ]

クラウチングポーズで気合を入れる高田主将

 第92回東京箱根間往復大学駅伝競走は年明けの1月2、3日に行われる。今年は青学大が往路、復路を共に制して、初の総合優勝を果たした。選手層がより厚くなった青学大が今大会で2連覇を狙う中、他校はどう対抗していくのか。です。

 エンジのたすきに思いを託す。早大主将の高田康暉(4年)は9月に右ふくらはぎを痛め、出雲、全日本大学駅伝と欠場。箱根では3年連続2区が濃厚で「どんな形でも勝ちにいきたい。区間賞よりチームに流れを与えられる走りをしたい」と意気込む。各校エースに食らいつき、起爆剤となってみせる。

 胸に刻まれる「W」に憧れた。テレビで見た07年世界選手権代表の竹沢健介(当時早大3年、現住友電工)が箱根で激走する姿に目を奪われた。08年大会、竹沢は座骨神経痛で痛み止めの注射を打っての出場にもかかわらず3区区間賞を獲り、早大の12年ぶりの往路優勝に貢献する活躍だった。高田は12年に早大に入学すると、同大を拠点にする竹沢と練習する機会にも恵まれた。2年時は2区に抜てきされて区間賞。エース候補に名乗りを上げ、竹沢も務めた主将の座にもたどり着いた。

 迷った時期もあった。ケガを治すべきか、主将として駅伝に出場すべきか――。最後の駅伝シーズンを控えてのケガに「なんでこのタイミングかな」と唇をかんだ。それでも、走りのフォーム改善中のケガだったこともあり「足先ばかりで走る癖があったけど、今は体全体を使って走れるようになった」とプラスに置き換えた。

 将来の夢はプロ野球選手だった。中学時代は硬式野球のチームに所属し、部活動は陸上部に籍を置いていた程度。ただ、中学2年の全国大会の1500メートルで入賞し、陸上の道を選んだ。「陸上をやってなかったら早稲田に入れてなかった」と後悔はない。高田が誇りを胸に、11年以来5大会ぶりの頂点を引き寄せる。

 ◆高田 康暉(たかだ・こうき)1993年(平5)6月13日、鹿児島県鹿児島市出身の22歳。中1で陸上を始める。鹿児島実2年時の全国高校駅伝では最終7区で区間賞の走りで初優勝に貢献。12年に早大入学。箱根駅伝は14年2区区間賞、15年2区6位。1万メートルの自己ベストは28分49秒59。1メートル70、54キロ。

続きを表示

2016年1月1日のニュース