ケガに耐えて奮闘…リーチ主将を支え続けた日本人夫人の言葉

[ 2015年9月21日 06:40 ]

<日本・南アフリカ>後半28分、トライを決めた五郎丸(左)を祝福するリーチ

ラグビーW杯イングランド大会 1次リーグB組 日本34―32南アフリカ

(9月19日 ブライトン)
 その輪の中心には、時に冷静に、時に熱くチームメートに語りかける姿があった。主将として歴史に名を刻んだリーチは「このためにやってきました。最後の3分間は両脚がつって大変だったが、代わりに入ってきた選手がやってくれた」と語った。

 前回の母国ニュージーランドでのW杯では、4試合全てに出場した。当時から主力の一人として数えられ、4年後の今大会の出場も必然だったが、主将の立場は想定外だった。打診されたのは13年の代表活動終了後。「やるべきではないし、やるような器ではない」。自分は日本生まれではない。そんな遠慮もあったが、前主将の広瀬(東芝)に背中を押された。

 13年にはスーパーラグビーのチーフスでの登録メンバー入りを目指していたが、腕のケガで断念を余儀なくされた。その後も足の骨折などが重なり、シーズンを棒に振った。常にそばで支え続けた東海大で同期だった知美(さとみ)夫人は言う。「私が“ラグビーを辞めてもいいよ”と言ったら、そうだね、と」。一瞬だが心が揺らいだ。しかし、ピッチに戻ってきた。全ては日本に恩返しをするため。15歳で札幌山の手高に留学し、東海大時代に代表に初選出された。肌の色は違っても、毎日3時間、4時間の練習もいとわない、日本人らしい忍耐力の持ち主。だからこそ個性豊かな他の選手も、その背中に付いてきた。

 前半29分には、左ラインアウトからのモールでトライも記録。「非常にうれしい。スプリングボクスに勝ったのだから特別。でも、まだスコットランド戦がある」。決して1勝だけで浮かれない。その瞳の奥は、既に次なる一戦を捉えていた。

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