上田昭夫さん 信念曲げぬ指導 ロッカーで破った優勝の賞状

[ 2015年7月24日 07:55 ]

86年1月、両校優勝となった明大・北島忠治監督と試合後のパーティーで乾杯

 上田氏は敵をつくることを恐れなかった。歯に衣(きぬ)着せぬコメント。伝統にとらわれない手法にはOBからも反発の声が上がり、決して主流派ではなかった。それでも信念を曲げず、実行するからには徹底。入部希望の有力高校生の受験対策として大学生に小論文を“添削”させ、付属校の強化にも取り組んだ。名参謀として支えた林雅人氏は「決めたことを貫き、夢に向かって真っすぐ進んだ。だから言葉が心に響いた」という。

 情熱と知性を併せ持ち、かつ用意周到だった。85年度日本選手権では試合前のロッカーで、大学選手権優勝の賞状を「俺が欲しいのはこれじゃない」と破り捨てた。賞状はコピーだったが、選手のモチベーションを上げる一方、スクラムで相手の反則を誘う方法も伝授していた。94年に総監督に就任すると“現代っ子”向けに「褒めて伸ばす」指導法に変更。適切な体づくりのため、選手に食事の写真を送らせる手法もいち早く取り入れた。もっとも、撮影を意識した保護者が毎食“豪華なメニュー”を用意すると「意図が違うんだけど…」とボヤいていた。

 マスコミに籍を置いただけに、サービス精神も旺盛だった。長年取材してきたラグビー解説者の村上晃一氏は「曖昧なことを言わないので、文章にしやすかった」と振り返る。ただし、15年ぶりの対抗戦優勝を決めた99年の早慶戦後「きょう泣かなくて、いつ泣くんですか」と叫んだ場面は、頭で考えるよりも先に情熱が口から飛び出したものと印象に残っている。(スポーツ部専門委員・中出 健太郎)

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