bjリーグ32歳若社長奮闘 地方・秋田で自力で創生

[ 2015年6月1日 11:00 ]

チームを見守る水野社長

 水野勇気(32)はプロバスケットボールチーム、秋田ノーザンハピネッツの社長。とはいっても、プロ野球のように親会社からの出向者ではない。学生時代からチーム創設に関わり、自ら会社を設立して社長に就任したのが6年前。チームを2季連続して「ターキッシュエアラインズbjリーグ」のファイナルに導いた、青年社長のバックグラウンドに迫った。

 取材中、携帯電話がひっきりなしに振動する。「すいません、チケットの受け渡しがあるので、ちょっと失礼してもいいですか」。水野は申し訳なさそうに中座を申し出た。5月23日、東京・有明コロシアムで行われたリーグファイナル地区決勝前の休憩時間。「秋田プロバスケットボールクラブ株式会社」の若社長は素早く立ち上がって人混みに消えていった。

 彼の主な業務はもちろん、秋田県に本拠を置くハピネッツの運営だ。とはいっても、地元出身者ではない。

 生まれは東京都杉並区。中学時代から「ビジネスに興味があった」という。高校卒業後は米国に留学したが、家庭の事情で帰国。造園の仕事をしながら資金をため、当時秋田市内に新設された公立校・国際教養大に入学する。「秋田なんて行ったことがなかったけど、なんとなく面白いと直感で決めたんです」。この直感が、水野の人生を劇的に変えた。

 3年時にオーストラリアのグリフィス大へ1年間の交換留学。人口2000万人ほどの同国に、クリケットやラグビーなど5つのプロリーグが存在することに驚いた。ある程度の都市にはプロチームがある。そのチームを地域の人々が支えている。プロチームのある生活を楽しんでいる。

 一方で秋田。どことなく活気に乏しい。典型的な少子高齢化に悩む街。「秋田を活性化するにはプロスポーツが必要だ、と実感した。では、どの競技でとなると、バスケ以外は考えられなかった」という。

 秋田といえば、全国制覇58回を誇る高校バスケット界の名門・能代工がある。試合時の体育館はいつも満員。高校スポーツながら人気は抜群だ。これだ。これしかない。水野は在学時からプロチームの設立運動を開始。卒業時には、首都圏にあるベンチャー企業への内定を辞退して秋田に残り、活動を継続した。

 わずかながらの貯金を切り崩し、周囲からの差し入れなどで空腹を満たす“ボンビー生活”を送りながら事業計画書を作成し、資金提供の可能性がある企業に営業をかける。並行して署名活動。当時の活動人数は、学生時代からの僚友と2人だけだった。「プロチームなんて秋田では無理」という冷たい声も当然あったが、2人の情熱に対し「頑張れ」という前向きな応援が徐々に増えてきた。

 10カ月後には任意団体の立ち上げに成功。約1000万円の資本金を集めて運営会社を立ち上げ、資金提供者の推薦もあって社長に就任したのが26歳の時だ。「とにかく10年間はがむしゃらに仕事しようと決めた」。チームは公募制のbjリーグに申請し、5年前に参入を果たした。

 5月に終了した昨シーズンはホームゲーム26試合を行い、1試合平均観衆2580人はリーグ3位。県の人口約100万人と小さな市場規模ながら、資本金8000万円、年間予算3億5000万円前後を誇る。しかもチームは2年連続リーグ準優勝だ。

 昨年結婚した千夏夫人(26)も、地元で秋田舞妓(まいこ)を育成する会社を起こしたばかり。「夫婦そろってもうからないことをやってますね」と照れ笑いしたが、チームは創設以来、無借金経営。ビジネスの才は確かにある。それでも水野は言う。「勝つことは大事。でも僕は永続するチームを目指しているんです。もっともっと努力しなければ」と。

 劣化がささやかれる地方都市。言葉だけ先行する地方創生。いや、違う。カネなし、コネなしからプロチームをつくった彼のように、熱き情熱を持つ若者は確かにいる。悲観する必要などない。(敬称略)

 ≪大学時代 寮値下げ知事に直談判「本気で動けば変わる」≫水野の活動に欠かせないのが大学時代の経験だ。国際教養大は1年時に寮生活を義務付けているが、当時はその寮費が他大学に比べ高額だった。水野は学生課に不満をぶつけた。ところが同じ思いを持つ友人からの提案で、本格的な抗議行動を決意する。「中途半端は嫌いなので」と、寮を運営する団体の定款や財務諸表を入手し、他の国公立大の寮費を調べ上げるなど、ビジネスマン顔負けの実行力を発揮した。最終的には県知事への直談判に成功。その1年後、運営団体の変更により、寮費は約半額になったという。

 「本気で動けば変わるというのを実感した。どうせダメだと文句をたれているんだったら、とにかく動け、と。あの経験で自分の考え方が180度変わった。チームを起こす時も全く同じ考え方でした」。水野の人並み外れた行動力は、学生時代から磨かれていた。

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