ミュンヘン五輪銀 女子バレー元監督の小島孝治氏死去

[ 2014年5月27日 12:58 ]

死去した小島孝治氏

 バレーボール監督として女子日本代表を1972年ミュンヘン五輪銀メダルに導き、ニチボー貝塚の連勝記録を伸ばした小島孝治(こじま・こうじ)氏が27日午前0時15分、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。83歳。大阪府出身。葬儀・告別式は29日午前11時半から大阪市東住吉区長居公園1の32、仏光殿臨南寺会館で。喪主は長男寿雄(ひさお)氏。

 関西大卒業後、大阪の四天王寺高女子バレー部で指導者としての能力を発揮した。64年東京五輪金メダルの「東洋の魔女」を育てた故大松博文監督の後を継ぎ、65年にニチボー貝塚(後のユニチカ)監督に就任、伝統の守りのバレーで公式戦連勝記録を258にした。

 ミュンヘン五輪の2位の後、金メダルを有力視された80年モスクワ五輪は、日本の不参加で“幻の代表監督”に終わった。70年世界選手権2位など、世界一のタイトルとは無縁だった。

 日本バレーボール協会で副会長などを歴任し、大阪市教育委員会委員長も務めた。

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2014年5月27日のニュース