遠藤 鶴竜ぶっ倒し初金星!史上2位の8場所目で

[ 2014年5月15日 05:30 ]

<夏場所4日目>舌を出しながら起き上がる遠藤

大相撲夏場所4日目

(5月14日 両国国技館)
 23歳のホープ、東前頭4枚目・遠藤(追手風部屋)が新横綱・鶴竜(28=井筒部屋)を寄り倒し、初金星を挙げた。年6場所制で初土俵から8場所目は武双山の7場所目に続く史上2番目の早さ。日大3年時に負った右膝の大ケガを乗り越えて角界の門を叩いたニューヒーローが、入門からたった1年2カ月で大仕事をやってのけた。

 新星が横綱に勝ち、国技館に座布団が舞った14年5月14日。相撲史に残る新たな1ページとなった。史上最速2位となる入門から8場所目での金星に遠藤は勝った瞬間「やったと思った」と喜びがあふれた。だが、不思議と満足感はなかった。

 「夢というか目標。それが達成できて素直にうれしい。いいふうに今後につなげていけたら」

 大歓声の中で人生初の勝ち残りで土俵だまりに座ると、師匠の追手風親方(元幕内・大翔山)の「テレビの前で見てるからな」という言葉がよみがえり「変な顔をしたらしかられる。シャキッとしてました」と苦笑いした。

 相撲内容は想定外だった。「勝てたのは思い通りじゃない。でも負けるつもりはなかった」。先場所初日に追い込みながら敗れた鶴竜に当たり勝った。突っ張って前に出て右下手を取り、左も差して自分優位の体勢となり「無我夢中」に前に出た。「こんなチャンスいつ来るか分からない」と一気に土俵下まで寄り倒した。「成長したと感じてくれたら」。鶴竜はまだざんばら髪だった先場所前に出稽古で稽古をつけてくれた。4日間で3勝63敗。“鶴”への“恩返し”を見事に果たした。

 勝利を伝えたい人は「親、そして東京の親である大学の監督(田中総監督)と奥さん、そして親方、女将さん」と遠藤。故郷・石川県では会社員の父・吉樹さん(46)が取引先のテレビで取組を見た。「盛り上がりましたね。良かった。うれしい」。相撲が嫌いな小学生の息子を教室に通わせるため「ドライブに行くぞ」とだました日もあった。そんな父は息子について「大学3年のケガが転機」と振り返る。

 鳴り物入りで名門・日大に入ったが、3年秋のリーグ戦で右膝前十字じん帯を断裂。絶望の瞬間だったが、田中英寿相撲部総監督と優子夫人の励ましもあり、死に物狂いで回復に努めた。半年間ほぼ連日、東京・杉並区の下宿からさいたま市まで通って専門医の治療を受けながらリハビリを続け、4年時に復活。「あのケガがなかったら、自分はここにいない」。主将としてチームを全国制覇に導き、幕下10枚目格で角界に入門。今場所前の後援会発足式で田中夫妻に花束を贈った23歳は「田中先生からは場所に入って電話で“思い切っていけ”と言われました」と感謝を口にした。

 この日の朝。まわしを切る動作や左四つの型の確認など通常の倍以上となる15種類の稽古を行った。勝つために自ら考え、行動に移す努力型の力士・遠藤。「きょうの相撲をもっともっと磨いて努力していきたい」。初金星は通過点。23歳のゴールはもっともっと遠くにある。 

 ▽春場所初日の鶴竜―遠藤 鶴竜が立ち合いで右前まわしをつかむが、遠藤がうまく切り、いなしてから突き押しながら前に出る。防戦一方の鶴竜だったが、土俵際でうまく右に回り込みはたき込んだ。

 ▼北の湖理事長(元横綱)遠藤は先場所のように前へ出たのが良かった。怖がらずに攻めていったことでまわしが取れた。この感覚を忘れず、これからも攻めていく相撲を取って自信を持っていけばいい。

 ▼伊勢ケ浜審判部長(元横綱・旭富士)遠藤は脇が締まっていた。休まずに攻めたのが勝因。あんなに速く攻められたら勝てない。十分に通用したよね。

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